普段、生活をしている中で、『カルト信仰』という言葉を聞くと、どのような印象を持ちますか?やはり、多くの人がオウム真理教や、与党政党との癒着で話題になった教団を思い出すかたもいらっしゃると思います。
なかには、「遠い世界のおとぎ話だ」くらいに考えているかたもいるかもしれません。はたまた、「自分とは関係ない」、「宗教なんですべてカルトでしょ?」と、宗教に対して拒否反応を示す方も多いかもしれません。
ですが、考え方を広げると次のように思考実験ができるかもしれません。「あなたの信じている『常識』も一つの信仰だとしたら」と?「自由や平等」、「資本主義や民主主義」、「正社員になれば勝ち組」など自分のあたりまえだと思っている常識を少し疑ってみると、視野を広げるきっかけになるかもしれません。

今回は、村田紗耶香さんの著書、『信仰』を読んだうえで「信じることの意味について」考えてみたいと思います。ただ、注意すべき点として「人が信じる信仰を否定したり揶揄すべきではないこと」また、「私も信じている『常識』や『信仰』を持っていること」を踏まえたうえで「他者を否定する意味」で記事を書いていないことを先に説明させてください。
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この記事を読んでわかること
この記事は、村田紗耶香さんが書かれた短編集『信仰』の中から書籍のタイトルでもある「信仰」を元に内容を深堀りしていきます。
- 短編集『信仰』を通して現代日本を読み解きます
- カルトについて理解が深まります
- 信じること(価値観)を押し付ける危うさについて考えます
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「なあ、俺とカルト始めない?」
「なぁ、俺と、新しくカルト始めない?」
この物語は、地元の同級生『石毛(いしげ)』くんから、商売の話を持ち掛けられる、主人公の『永岡(ながおか)』さんとの会話から始まります。
普段から地元の友人たちとの関りをもたない、石毛くんからお茶の誘いを受けた永岡さんは「マルチか宗教の勧誘か?」と勘繰ります。逆に話を聞いてあげるふりをして、友人とのおしゃべりのネタにしてしまおうと軽い気持ちで待ち合わせ場所に向かった先での出来事でした。
「いろいろ調べたんだけどさ、スピリチュアル?とかって、女の間ではさ、流行っているんでしょ?そういうカルト始めてさあ、俺と一儲けしない?」と、石毛さんは提案してきます。
「カルトを調べた」と、話す石毛くんは既存の組織に入会して力をつけるのでは無く、大元をやらないとダメだと永岡さんにプレゼンを始めます。中学時代に頭がよく、他とつるまないカリスマ性を秘めた永岡に白羽の矢が立ったことも併せて説明します。
相手の魂胆も丸見えで、詐欺まがいな手口に辟易して逃げ出そうとした時に、もう一人の登場人物が永岡さんの前にあらわれます。大人しくてまじめで目立つキャラクターでは無いが、賢くて信頼のおける人物『斉川(さいかわ)』さんが恥ずかしそうに挨拶をしてきたので、永岡さんはとまどいます。
大学時代に石毛と斉川は交際していたが、斉川がマルチ商法にはまっていたことを石毛は話します。
「俺ら、大学同じでさー。二年くらい付き合っていたんだけど。でもこいつ、卒業してからマルチにハマってさー。浄水器売りまくってて、そんで別れたんだよね」
この(カルト)商売を思いついた石毛くんは、あんな馬鹿(マルチ商法)なのに引っかかる奴にいろいろ聞けば、コツみたいなものも掴みやすいと、二人を前に意図を説明します。
こうして、カルトを商売に大儲けをたくらむ、石毛くんと元交際相手の斉川さんに話を持ち掛けられた永岡さんは、カルト詐欺(?)に巻き込まれていきます。
「信仰」の登場人物を紹介
登場人物たちの具体的な年齢は書かれていませんが、大学卒業から、2~3年後、20代後半をイメージすることができます。大学時代に付き合っていた石毛と斉川が卒業後に別れて何年も連絡を取っていなかったこと。永岡さんは、結婚まで考えた彼と破綻していまうエピソードからも、20代後半の年齢だとうかがえます。
時代背景としては、「平成後半から令和」にかけての現代日本。アベノミクスによる恩恵を感じない経済成長と格差が広がりを見せる風景がさりげなく書かれています。
私は俯いて、椅子から立ち上がった。「300円」ドリンクバーの料金を請求した石毛に、ぴったり280円だしてテーブルに置くと、私は項垂れたまま、サイゼリヤから逃げ出した。
引用:『村田紗耶香著、信仰』27ページより
就職をしている主人公達でさえ、ドリンクバーの料金を払うことに対して負担を感じるような印象を文面から感じることができます。小説では主人公たちのふところ事情は具体的に書かれていませんが、実家暮らしをせざるを得ない状況だったり、美容にファッション、友人たちとのお付き合いにもお金はかかると説明があります。そんな中でお金のやりくりをしなければならない状況と日本の経済状況もリンクしてきます。
そんな、時代背景も見ながら、登場人物を紹介していきます。
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主人公その①:「永岡(ながおか)ミキ」を深堀る
中学校時代は、頭がよく他人とはつるまないカリスマ性のような印象と石毛に言われた、物語の主人公、永岡ミキ。石毛くんだけでなく、その印象は斉川も共有していました。
訳けあって、地元を離れていた時期もありましたが、今は両親と「不在の妹」と4名暮らしで実家暮らしを営んでいます。
そんな、永岡さんの価値観についてふれている個所を引用します。
私は子供の頃から、「現実」こそが自分たちを幸せにする真実の世界だと思っていた。
私は自分だけでなく、周りの人にもそれを勧め続けた。
小学校のころのお祭りなど、私の最高の活躍の場だった。光るヘアバンドを買おうとする友達に、「やめなよ。あんなの、原価100円くらいだよ。ぼったくりだよ」と注意し、「ミキちゃんはしっかりしているわねぇ」と町内会のおじさんおばさんに褒められた。
「え、型抜き一回200円?ぜったいおかしいよ」
「このかき氷、氷とシロップだけで500円なんて、ぼったくりだよ。あっちのお店にいこ、200円だったよ」
てきぱきとぼったくり料金を暴く私を、友達の女の子たちは、「ミキちゃんあたまいい、すごーい」と褒め称えた。
「ありがとう、私、あっちの高いお店でかき氷買っちゃうところだったよ。こっちの町内会の出店のほうがずっと安いね!」
「ありがとう!」
「ミキちゃんありがとう!」
感謝の言葉は、私をうっとりと満たした。私は友達や家族、愛する人たちがうっかり騙されて損をしないように、どんどん目を光らせるようになった。
「原価いくら?」
という言葉が私の一番好きな言葉になった。
引用:『村田紗耶香著、信仰』28~29ページより
永岡さんの「価値観」とは、「現実」こそが自分たちの世界を幸せにすると信じていることです。「原価いくら?」の言葉に象徴されるように、ブランドやイベントと言った「付加価値(幻想)」を信用しません。あくまで、原価で商品は取引されるべきで、クリスマスやお祭りなどで浮かれる姿や、ブランド物の洋服やアクセサリーを着飾る友人たちを批判しています。
自分の「価値観」を周りに押し付けることによって友達だけでなく恋人まで失ってしまいますが、当の本人は改める様子を見せません。そんな、唯一の理解者で幼馴染のユカも永岡を責めます。
「そりゃ、ミキが正しいのかもしれないよ。でも、それがなおさら嫌なの。『現実』って、もっと夢みたいなものも含んでいるんじゃないかな。夢とか、幻想とか、そういうものに払うお金がまったくなくなったら、人生の楽しみがまったくなくなるんじゃない?」
引用:『村田紗耶香著、信仰』31ページより
永岡さんは、「価値観を押し付けるという暴力」に気がつくことがないまま、矛先を家族である妹にも向けます。7歳下の妹は、永岡さんとは正反対で夢がちな性格だったと書かれます。大学を途中で辞めて、アルバイトをしながら引きこもっていましたが、ネットで出会った友達とアクセサリーショップを開くという夢を見つけます。
「起業するために高額のセミナーに通っている」という、母からの電話を聴いた永岡さんは、大義名分を得たとばかりに意気揚々と家へ帰ってきます。妹を幸せにしようという正義感に満ちた永岡さんは、その時とてもいきいきしていたと書かれています。
結果、起業セミナーに行かせまいと、あらゆる手を使っては妹を妨害します。「似たようなセミナー詐欺のブログをプリントアウトしてトイレの壁にびっしりと貼り付ける」など、常軌を逸した行動を取り続けます。
最後に妹に会った日のことは、よく覚えている。その日は平日で、私は東京で開かれるセミナーへ出かけようとする妹を止めるため、朝から玄関で待ち構えていた。iPhoneの画面を妹に向けながらYouTubeで見つけた「キラキラ女子がハマる、起業セミナー詐欺の実態!逮捕の現場に潜入!」という動画を大音量で流し、ドアの前で騒ぎ立てる私に、妹が冷たく言い放った。
「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね」
私は妹の意味不明な言葉に首をかしげた。
引用:『村田紗耶香著、信仰』33ページより
その日から、妹は帰ってくることはありませんでした。その後、妹が通っていたセミナーが詐欺として告発されたという報道を見た永岡さんは「これで、妹が帰ってくる」と喜びます。「ね!私が正しかったでしょ?」と、「現実」へと妹を改心させた思いで、会社の人にうきうきと話したと書かれます。
ですが、妹は実家に帰ってくることはありませんでした。「お姉ちゃんといると、人生の喜びの全てを奪われる」からと母から聞かされます。その頃から永岡さんは悩み始めます。「誰か、私を騙して欲しい」、「騙される才能が欲しい」と。
永岡さんは、斉川さんに感化されることで「カルト詐欺」へと協力していくことになります。
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主人公その②:石毛(いしげ)を考察する
「なぁ、永岡、俺と新しくカルト始めない?」と、この物語を起動させるうえで重要人物の一人とも言える、石毛くん。主人公の永岡とこの後、紹介する斉川さんと同級生であることがわかります。物語の中で、彼の内面にふれた内容がないので、書かれた情報から石毛くんを考察していきます。
久しぶりの出会いは、先週(勧誘を受ける前の週)、地元の同級生が集まった飲み会に彼が参加したことがきっかけでした。
先週、地元の同級生が集まった飲み会に、石毛が現れたとき、みんな、不思議そうに首をかしげ、こっそり顔を見合わせた。地元の飲み会は何回か開催されていたが、石毛が来るのは初めてらしく、誰が呼んだのかもわからなかった。
引用:『村田紗耶香著、信仰』7ページより
地元の飲み会が過去の何回か開催されたことを考えると、主人公たちの暮らす地域は、地元のネットワークが密な地方都市を想像します。永岡さんも斉川さんも当てはまりますが、地元の同級生のコミュニティーに混じらないタイプの人間として書かれており、浮いた存在(アウトサイダー的)だと思われます。
石毛くんは、カルトで一儲けしようと、永岡さんを誘うために、事前準備としてのデータ収集であったり、カルト詐欺のコンセプトを提案するなど、社会経験は一通りある人物だと思われます。後に、カルト詐欺を立ち上げた後には、ホームページを作成したりセミナーの会場を抑えるなど実務の面で運営の能力を見せます。
永岡さんを勧誘しようと、石毛くんは同行した斉川さんを紹介します。斉川さんとは、同じ大学出身で二年間の交際をしていたと話します。そのことから、親密な人間関係を構築できる意味でコミュニケーション術にも優れているといえます。また、地元のコミュニティーとは距離を置いていたことからも考えると、自分の付き合う相手を選ぶ「人を見る目」にも長けていると思われます(そんな彼に選ばれた永岡さんや斉川さんがかわいそうですが)。
過去に付き合っていたと、斉川さんを紹介しますが、彼女のことを「こいつ」と、呼びます。自分のパートナーを「こいつ」や「お前」と、呼ぶ人の心理を調べてみました。
- 親しみやすさから呼んでいる
- 自分だけのものとアピールしたい
- 支配的な態度をとりたい
- 自己中心的な性格
- 恥ずかしさや照れ隠し
などが挙げられます。具体的な内容に関しては下記の記事を参照して欲しいのですが、普段からパートナーに対して、「おまえ」や「こいつ」と周りに言う人ほど、将来の「モラハラ夫」や「DV」に育ちそうです。
【関連記事:【お前・こいつ呼ばわりする男】の心理5選を紹介!彼氏・結婚後の結末がヤバすぎる | もちもち音楽隊-あなたの疑問を解決!-】
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主人公その③:斉川(さいかわ)さんを深堀る
永岡さんの中学生の同級生、斉川さん。「大学時代に付き合っていた」と、石毛くんに紹介され、永岡さんの前に登場します。ペラペラしゃべる石毛くんの横で、斉川さんは自分を恥じるように俯いています。
「そうなんです・・・・恥ずかしいけれど、こんなこと、永岡さんに知られるの」
小柄な斉川さんは猫背になって顔を伏せ全身をさらに縮めるような姿勢になり、右手の細い手首を小さな左手で掴んで、自分を戒めるように、ぎゅっと握りしめた。
「それで俺、こいつとは完全に連絡を絶ってたんだけどさ。この商売を始めようとしたとき、重いついたんだよね。あんな馬鹿なのに引っかかる奴にいろいろ聞けば、コツみたいなものも掴みやすいんじゃないかって。浄水器だぜ、浄水器!今時こんなのに引っかかる奴いんのかよって、すげえ笑ったもんな、あのとき」
引用:『村田紗耶香著、信仰』11ページより
石毛くんの言葉に、斉川さんは自分の過去を隠そうともせず言い訳もしません。強い意志を持って老いると感じます。また、久しぶりに永岡さんとあって、距離感をつかみかねる斉川さんは、敬語交じりで永岡さんと懸命にコミュニケーションを図ります。そんな場面からも誠実な人柄とは裏腹に人づきあいはあまり得意ではないことが読み取れます。
元彼の石毛くんと組んで、カルト詐欺に関わっていく理由を話します。
「リベンジって、何の?」
「あの、私、浄水器売っていたとき、本気で信じていたんです。これが世界最高の浄水器で、みんながこれで健康になって、幸せになるんだって。でも、実際には友達はみんな離れていって、借金作りまくって、結局実家に迷惑かけて・・・・・」
私は慎重に言葉を選びながら用心深く尋ねた。
「そしたら、もうあんまり、そういう系・・・・なんていうんだろ、洗脳系?ちょっとトラウマっていうか、距離とりたくならないの?」
「そうですよね。普通、そうですよね。浄水器売ってたこと、正直、黒歴史ですし、当時のことを知っている友達も、そのことタブーになってて口にしません。でも、たぶん、だからなのかな・・・・・石毛くんから久しぶりにFacebookで連絡がきて、この話を持ちかけられたとき、思ったんです。あ、リベンジしようって」
引用:『村田紗耶香著、信仰』14ページより
「誰に対するリベンジなのだろう」と、対象を図りかねる永岡さんですが、この会話がきっかけに二人は距離を縮めることとなります。斉川さんは「信仰」という価値観を根底に持ちながら自身の想いを言語化していきます。
一方、永岡さんは、斉川さんと会うたびに彼女の印象の変化に驚きます。「教祖」としての自信からか、言葉や態度、ちょっとした所作など、立ち居振る舞いまでが自信に満ち溢れています。また、服装や表情、雰囲気さえも以前の斉川さんとは違って見えると、永岡さんは言います。
「斉川さんは・・・・・本当はまったく詐欺だなんて、思ってないんでしょう?詐欺だって言っているときのほうが、嘘なんでしょう?私、わかるの。ずっと見てきたから。斉川さんの目は、本当に『信仰』してる。ずっとそれを見てきたからわかるの」
引用:『村田紗耶香著、信仰』39ページより
永岡さんは、ブランドやイベントのたびに「その目をうっとりと(幻想に)目を輝かせている人たち」を「現実」へと引き戻してきた(勧誘していた)のだと告白します。永岡さんの「価値観」でもある、付加価値を信じない「現実」への勧誘。その行動と発する言葉は一種の「信仰告白」とも取れます。その、永岡さんの告白を聞いたうえで斉川さんは宣言します。
「私は・・・・・このカルトを、本物にしたいの」

永岡さんと、斉川さんは石毛くんの会合によって中学以来、ふたたび出会いました。お互いの信仰を告白することで、お互いに共鳴しあいます。永岡さんは斉川さんが主宰する「カルト信仰」に自ら入り込んでいきます。
※POINT:「永岡さんの信仰」と「斉川さんの信仰」を対比したとき、相容れない信条とは何だったのか?永岡さんの信仰(価値観)は「幻想に惑わされている人を現実に引き戻す」という、強制性にありました。斉川さんの信仰(価値観)とは、「騙された人さえも受け入れる。ゆえに嘘を真実に変える」という、愛をベースにしたことでした。
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カルト信仰とはなにか?
三人の想いをそれぞれに、「カルト詐欺」というプロジェクトは進んでいきます。ここで、「カルト信仰とはなにか?」を考えながら、読み進めていきたいと思います。
ここで、補助線の導入として、同志社大学神学部として教壇に立ちながら生徒に「キリスト教神学」を教える、作家の佐藤優さんの記事も読んでいきたいと思います。
佐藤優氏は、「相手に影響を与えるための有効な方法に『感化の力』がある」と説きます。キリスト教の母に育った、佐藤優氏は母の言動に感化されたと話します。
そのうえで、本当の意味で相手から決定的な感化を受けるのは、「自己犠牲的な行為や態度を目にしたときだと言えるでしょう」と、佐藤優氏は解説します。もちろん、キリスト教を念頭において話される佐藤優氏の解説ではありますが、「斉川さんの信仰」にも、相手を愛するという心の奥底に流れる同一な思想を共通点として感じ取ることが出来ます。
ただ、注意すべき点として「間違った目標設定をしている宗教や価値観には要注意」と佐藤氏は喚起を鳴らします。
ただし、厄介なのは、本人があくまで善意に基づきよかれと思って、悪をなしている場合です。かつてのオウム真理教などは、まさにそのパターンでしょう。
このままだと煩悩からどんどん悪事を働いてしまう衆生を救わなければならない。そのためには人々を罪の軽いうちに殺してしまうこと(ポアすること)が正しく善なる行為である、という論法です。
あくまでも自分たちこそ正しく、神や天の意志に従っているという認識なので、大変に始末が悪いのです。
こういう場合は、彼らの目標や目的が、いわゆる公共善に基づいたまっとうなものかどうかを考えてみることです。
今まで見てきたように、永岡さんの価値観(信仰)が、「本人の善意から発するもの(正義感)」に対して、行動していることが読み取れます。幻想に対して、うっとりと目を輝かせている人たちを「現実」へと改心させなければならないと、永岡さんの善意が「カルト化」してしまっていたことが考察できます。
一方で、斉川さんの価値観は、「みんなを幸せにしたい?」という前提で考えると、佐藤優氏の言う「公共善ではないか」と考察できます。
目標や目的という座標がどこにあるのか?ということからも、二人の価値観を比べることによってカルトを見極めるポイントになると思います。
【関連記事:自伝作品『先生と私』を通して佐藤優を読む【誕生~高校入学まで】】
「資本主義」という信仰とは?
資本主義について、徹底的に考えた社会学者と言えば『資本論』の著者マルクスが挙げられると思います。ですが、「マルクスは資本主義的生産様式が支配的な社会のことを近代と考えた。」と言われても「???」だと思う方がほとんどだと思います。
その近代の分析の書として書かれたマルクス『資本論』の、事実上の最も重要な洞察は、資本主義は一種の宗教だ、ということではないかと話すのが、『資本主義は一種の宗教←これがマルクス『資本論』の最重要考察です』と解説する、社会学者の大澤真幸氏です。
物語では「付加価値(幻想)」にまどわされる人たちを「原価いくら?」と、問いただすことで現実へと引き戻す力を永岡さんは持ち得ていました。マルクスを真正面から取り組むと一冊の本が出来るくらい内容が分厚くなるので避けますが、「資本の特徴、資本の定義は、その回転と転態を通じて、剰余価値を生むことです。」その剰余価値を資本家が搾取しているということを永岡さんは「原価いくら?」と問いただすことで闘争していたとも言えます(間違っていたらすいません)。
極論を言うと、現代社会の価値観となっている「資本主義」さえも一種の信仰だといっても良いのではないか?と言いうことができます。
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「カルト信仰」という物語は続く
という訳で、村田紗耶香さんの著書、『信仰』を元にカルト信仰をめぐって信じることとは何か?について考察してきました。ストーリーの顛末は、本書を実際に手に取って読んで欲しいと思います。実際に、斉川さんを「教祖」に仕立て上げてカルト教団としてスタートします。斉川さんのカリスマ的な魅力に引き込まれる永岡さんと、石毛の思惑が混在しながら物語は意外な結末を迎えます。
最後に本書をもとに、信仰や信じることに対するポイントを3つ考察したいと思います。最初にもふれましたが、注意すべき点として「人が信じる信仰を否定したり揶揄(相手をからかい、嫌がる行動をして反応を面白がるネガティブなニュアンス)すべきではないこと」また、「私も信じている『常識』や『信仰』を持っていること」を踏まえたうえで「他者を否定する意味」で記事を書いていないことを先にお伝えします。
ポイントその①:「価値観」を押し付けない
ポイントその①が、「価値観を押し付けるという暴力」に気がつくことですが、人は無意識に「価値観を押し付ける」ことが時として、立場の弱い人間に向けられることがあるということに意識を向けることが大事だと思います。
本著でも、「価値観を押し付けるという暴力」が主人公の一人、永岡さんは妹に向けられました。その結果、誰も幸せになることもなく家族は空中分解してしましました。
「価値観を押し付けるという暴力」=「正義感」と言い換えてもいいと思います。この対立が分断を色んな所で、生んでいることは私が解説しなくてもSNSをひらけばすぐにわかります。
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ポイントその②:あなたの「常識」もカルト信仰だと知ること
2025年4月時点で、フジテレビの「性加害」問題は、解決の先行きさえ見通せません。大手メディア企業でさえも「セクシャルハラスメント」に対しての認識が甘く、現状はどうあれ「性暴力」に傷ついた人がいることの事実にようやく世間は目を向けはじめました。
誤解を恐れずに言えば、平成年代ならフジテレビの「性加害」問題自体、話題にもならなかったと思います。結局は「長いものには巻かれる」ことが常識で「信仰」な訳です。2025年度に内定をもらった新卒の新入社員から「内定の辞退は1件もありませんでした!」と、嬉しそうに報道されていました。
だからと言って、毎朝観ている「めざましテレビ」を他のチャンネルに変えたなんてことはしていません。テレビは特に観ないのですが、めざましテレビのコーナーによって、時間帯が解る私として、習慣としてチャンネルを選択しています。そんな、私も同罪なのだと告白するわけです。
ポイントその③:「感化の力」を信じる
信仰の力を読み解くうえで、本当の意味で相手から決定的な感化を受けるのは、「自己犠牲的な行為や態度を目にしたときだと言えるでしょう」と、解説しました。
本書の主人公の一人である、斉川さんも「騙される人のことを愛することで、カルト詐欺ではなく『本物の信仰』を実現しようと思い立ちます。
ただ、現実の世界で「信仰」や「宗教」を持ち出すと、あらぬ誤解を招くと思います。大切なのは、半径5メートルの世界だけでも「自己犠牲的な行為や態度」を顕してみてみてはいかがでしょうか?という提案です。
大げさな話ではなくて、「職場の同僚に対して自分から声をかける」や、「落ちているゴミを拾う」でもいいと思います。資本主義が発展した現代では「お金さえあれば欲望の全てが叶う」という「(幻想)世界」に生きています。そんな中で「誰かがやらなくてもいい仕事を率先して引き受ける覚悟」を持つことで、「くそったれな世界」を少しでも押し戻すことが出来るかもしれません。それこそが「感化の力」なのかも知れませんね。
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まとめとして
ここまで、お読みいただきありがとうございました。「信仰」というセンシティブな内容を取り上げることに不安を感じましたが、うまくまとめることが出来たと思います。
著書のあらすじや結末にふれず、「カルト詐欺」や「信仰」にフォーカスしたことに関しては、他の出版社の記事やAmazonの要約に譲りたいと思います。
村田紗耶香先生の本からは、物語を通して様々な概念を考察できるテキスト的な要素を兼ね備えていると思います。今後も、村田紗耶香先生の著書を引用しながら記事を書く機会もあると思います。
また、別の記事でもよろしくお願いいたします。
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