休日の夕方にふと気がつくと「あれ?スマホを観ているだけで一日が終わった」など、時間だけが過ぎていてあせってしまうことはありませんか?
この記事は、佐藤舞さんが書かれた著書、『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』を解説しながら「時間を奪うものから距離をとりながら充実した人生を送りたい!」そんな方に向けて記事を書いていきたいと思います。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》
この記事を読んでわかること
この記事を読んで次のことに対して理解が深まります。
- 時間を奪う「正体」がわかります
- 人生で直視しなければいけないことがわかります
- 自分の本心に従って生きることへの大切さがわかります
身近な家族や友人、職場の知人や仕事先で出会う人を想い浮かべても良いと思います。平日は、「忙しい」が口癖なのに、休日は家でゴロゴロしてSNSざんまいな生活な人はいませんか?また、新しい恋人を見つけようとダイエットに挑戦していた彼(彼女)が、今年も同じことを言っていたなど。

この記事では、「自分の人生」を「旅路」だとみなしながら、『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』を学びます。目の前にあらわれるモンスターと対峙しながら、自分だけの人生を冒険してみましょう。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》
時間を奪う「正体」とはなにか?
本著、『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』でも紹介されています。フランスの文学者、フランソワ・ド・ロシュフコーは「死と太陽は直視できない」といいました。
普段、私たちは生きていて「死について」考えることはめったにありません。加齢(歳をとること)や病気や死を、病院や老人ホームなどに隠してしまったせいで身近に感じることができなくなったことも原因のひとつだと思います。それは、若い人だけじゃなく高齢な方にも言えると思います。
多くの人は、死と太陽という本質を見ることを避け、代替案として選んだ選択肢を正当化することに時間を使っているのではないでしょうか?
私たちが直視できないものとはなんでしょうか。
私はそれを、「人生の3つの理(ことわり)」だと考えました。
人生の3つの理
①死 ②孤独 ③責任
引用:『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』57ページ
この、「人生の3つの理」を直視したくないため、人は無意識に自分に嘘をついて行動をごまかしていると本著では説きます。行動をごまかす行動こそが『時間を奪う「正体」』そのものだと言います。

例え話として「人生の3つの理」のことをGPS機能にとらえてみるとわかりやすいと思います。人は、目的地と地図がありコンパスが揃っていても「GPS機能」がバグっていると、自分がどこにいて、どこに行きたいのか?が判らなくなります。同じところをぐるぐるさまようことで時間を浪費してしまうことになりかねません。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》
「人生の3つの理」から目を背けることこそが時間を奪う「正体」
私も含めてですが、人は「死の不安」から逃れるために、何かに没頭したり熱中したりして悩まないようにします。また「孤独の不安」から逃れようと、友人やパートナーを求めて寂しさをまぎらわせようとします。身近なことで言うと「責任の不安」から、他人に決めてもらうことで責任を回避し、小手先の安心感を求めます。
現代は、「人生の3つの理」から目を背けるためのツールとして、「スマホ」がまさに最適な道具だと思います。お手元のスマートフォンが時間を奪うのではなく、「人生の3つの理」から目を背けることこそが時間を奪う「正体」だった訳です。
そのほかに、「人生の3つの理」から目を背けることとして本書から引用します。
①死の不安:何かに没頭したり熱中して悩まないようにする
⇒ ワーカホリックになる
②孤独の不安:友人やパートナーを探して寂しさを紛らわせる
⇒ 浮気を疑って何度もスマホをチェックする
③責任の不安:他人に決めてもらうことで責任を回避する
⇒ 周囲に同調して自分の意見を言わない
引用:『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』64ページより一部編集
本著では、これらの行動を「不安を消す」と言う意図以外にも、「正当な理由付け(ウソ・いいわけ)」ができるということにも言及しています。
ワーカホリックになる = 仕事をしないと家族を養えないから
浮気を疑って何度もスマホをチェックする = 疑われるようなことをする相手が悪いから
周囲に同調して自分の意見を言わない = 自分の判断に自身がないから
引用:『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』65ページより一部編集
自らの偏見や信じていることを肯定するような証拠を見つけ、自己正当化し「他責思考」に陥ることを「自己欺瞞」といいます。本人の中では「自分は正しい」「これが自分のポリシーだ」と思っているが、「自己欺瞞」を繰り返し人生を無駄に生きたとき、死を前にして思います。「ああ、あれをしておけばよかったな…」と。
人生は、③責任→②孤独→①死の順番に本質を突き付けられる
人はなぜ、自分の本心や本命の行動ではなく、代替の行動に逃げて「自己正当化」しようとするのかというと、簡単に言えば「傷つきたくない」から、もしくは「失敗が怖い」からだと言えます。その根底に流れるものは「責任」を取りたくない。責任を取るくらいなら「不自由な今の暮らしで構わない」と無意識に考える(考えない)ようになっていくのです。
ベストセラー作家で世界にも読者が多い村上春樹さんは、「日本人はそれほど、自由を求めてはいない、または自由が制限された生活に不愉快さを感じていないということ」に気がついたそうです。「むしろ安心感のために、彼らは自分で自分の自由を制限している」と、話されています。
※POINT:歳を重ねて体のいうことが利かなくなり、認識力や理解力と言った認知機能が低下してくると、いままで直視してこなかった現実を突きつけられます。
周囲に同調して自分の意見を言わずにきた結果、③:「責任(離婚、リストラ、定年退職、配偶者の死別)」を突き付けられる。その結果、家族が離れる(居なくなる)ことで、②:「孤独(独居高齢者)」になる。その結果、自分の思う終活が出来ない、③「死」をつきつけられるなど、本質から目をそらして生きることへの意味も考えてみる必要があると思います。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》

より良い人生を送るための3つのポイント
『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』を読み解くことで「時間を奪う正体」について解説をしてきました。実際に、「時間を奪う正体」に対する対処法については本書に詳しく書かれているので手に取って読んで欲しいと思います。
冒頭でもコメントしましたが、人生を旅に例えた時、「冒険に必要な『地図』が手元にあります。自分がたどり着きたい『目的地』を明確にします。あとは『コンパス』と『自分のいる場所が正確に解るGPS機能』があれば、怖いものなしだと説明しました。
※POINT:人生(冒険)に必要なもの
- 地図(私たちが住む世間のことを指します)
- 目的地(自分の夢や目標を言います)
- GPS機能(この記事で紹介しました『人生の3つの理』がコレにあたります)

さいごに、人生(冒険)に必要なもの『コンパス(価値観)』について解説していきたいと思います。
より良い人生を送るための方法『その①:自己覚知を行う』
本書には「自己覚知」のことは取り上げられていませんが似たような概念を扱っています。自己覚知とは、「自分自身を深く理解し、自己の内面や性格、感情、価値観、欲望についての気づきを持つこと」を指します。これは自分自身との向き合いであり、成長や変化のための第一歩ともいえます。
「自己覚知」が進むことで、一歩引いた視点で自分の強みや弱みを理解し、それを生活や仕事、人間関係に活かしていくことができるようになります。
より具体的な方法を本書から解説します。
- 気づく(マインドフルネス)
- 受けれいれる(アクセプタンス)
- 重要なことに取り組む(コミットメント)
上記の3つを実践することでメンタルに良い変化をもたらすとされています。①「気づく」(マインドフルネス)では、今、起こっている出来事、自分の感情、認知、行動、身体反応に気付く(これを『自己覚知』と言います)。②「受け入れる」では、気づいたことを「良いこと」・「悪いこと」とジャッジするのではなく、ありのままを受けれる。③:重要なことに取り組む(コミットメント)については、人によって対応が違ってきます。その対応の違いこそが「価値観」だと言えます。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》

より良い人生を送るための方法『その②:価値観を明確にする』
いっきに抽象的な表現になりますが、自分の人生を生きるうえで、自身の『価値観』ほど大切な指針はないと思います。ご自身の生まれ育った家庭環境や人生の中で苦労された出来事など、まさに『困難』といわれるエピソードと、その人の『困難』に対するとらえかたや感じ方によって、その人のあたえる『価値観』は変わってくると思います。
例えば、「信じる」という価値観ひとつとっても、芦田愛菜さんのエピソードが本書に書かれているので引用します。
(中略)女優の芦田愛菜さんが、主演映画の完成告知イベントで「信じる」ということについて、大変示唆に富むコメントをされていました。
「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えた時に『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』っておもったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのはすごく難しいんじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」
引用:『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』214ページより
芦田愛菜さんの言葉は、とても示唆を含んだコメントだと思います。言ってみれば、『信じる』とは、「覚悟を決めること」だと読み取れます。
「この(信じる)人が、言った言葉がたとえどんな答えだろうと『私は信じると覚悟』を決めた。結果、この(信じる)人が、『思ったことと違う結果』であっても、それは信じた人の一面が見れたことだけだったと」とらえることと読み取れます。
先の、芦田愛菜さんの発言にありました、「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど」という箇所にも現れていますが、起こった結果を「良いこと」・「悪いこと」とは決めつけていないところにも、「受けれいれる(アクセプタンス)」を実践していると思われます。

「信じる」という事柄に対して、深く考える芦田愛菜さんの意見を見て、飯田史彦さんの「愛の論理」につながる慈悲深い知性を感じました。
※POINT:自分自身の『価値観』を見つめてみる。もしくは疑ってみる。
より良い人生を送るための方法『その③:諦める(あきらかにきわめる)』
本著、『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』では「あきらめる(諦める)」のではなく「何ならできるのか(あきらかにきわめる)」と解説されていましたが、同じ趣旨だと思います。
「あきらめる」とは、本来は仏教用語で「あきらかに極める」の略語(諦観)とされています。価値観にむかって困難やできないことに、ぶち当たることもあると思います。そんなときに「あきらめる:物事の本質をしっかりと見極めた上で、諦めること」を表す場合に「諦観」を使います。
諦めなくてはならない理由や原因をしっかりと認めている(という価値観)を意味しています。 主に、「諦観する」という形で使います。丁寧でやや堅い表現のため、話し言葉というよりは、書き言葉として用いることが多いです。そんな「価値観」も、人生を生きやすくする、『ブレイクスルー思考』だと言えます。
【あきらめるの意味を知る:「諦観」「諦念」「達観」の意味の違いと使い分け – WURK[ワーク]】
※POINT:自己覚知で「己を知り」、自分の人生を通して「価値観」を知り、生き様をとおして「あきらめる」を知ること。結果的に、人生の価値観が「コンパス」になることを知る。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》
さいごに
、佐藤舞さん著書、『時間を食べつくすモンスターの正体と倒しかた』を解説しながら「時間を奪うものから距離をとりながら充実した人生を送りたい!」そんな方に向けて記事を書いてきました。
不安から目を背けるのではなく、自分の「価値観」を正確に知ることの大切さと「ほんらいあるべき姿」とは何か?を考えていくことこそが、自分らしく生きる秘訣だと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。また、別の機会にお会いできるのを楽しみにしております。
《プロモーション:本ページはAmazonアフィリエイト広告を利用しています》
【関連記事:絵本作家のぶみ作『うまれるまえにきーめた』を読んでわかる「生きる意味」を考察する。】
【関連記事:答えの出ない問を考える「東大生の学び方」から見る『探究力』について】
【関連記事:「手っ取り早く教養を身につける」レジー著、『ファスト教養』を読んで考える教養論】
《プロモーション:本ページはアフィリエイト広告を利用しています》


