普段、社会の勉強をしていると「暗記ばかりでつまらない」や「テレビのニュースが理解できない」、「知りたいことなんてネット検索をすれば良いじゃないか」と悩むことはありませんか?
「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」を読めば「社会」を学ぶ意味と楽しさがわかると思います。社会科を学ぶ意味とは、一言でいうと「世の中のしくみを知る」ことだと思います。学生だけでなく、社会人にとっても社会を学ぶ意義は十分にあると言えます。
この本を読めばこんなことがわかります。
- 歴史を通して「現代」がなぜそうなったのか?がわかります。
- 過去を学ぶことで将来へ活かすことができます。
- 「歴史」を通して世の中の「都合の悪い真実」が見えてきます。
私は、勉強科目の中で「国語」と「社会(特に歴史)」が大好きでした。特に「歴史」を学ぶことで現在の日本は過去の連続で成り立っていることが良く分かります。この記事を通して、世の中のしくみ(難しく言うと「構造」)を紹介できればと思います。

前々回「国語編」、前回「算数・数学編」に続き、今回は「社会編」をお送りします。
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著書の西岡壱誠さんのプロフィールについて
西岡壱誠(にしおか いっせい)さんは、1996年3月13日生まれの日本の著作家です。東京大学経済学部に在学中であり、現役東大生作家としても活動しています。進学後は、家庭教師としても活動するほか、「現役東大生作家」として多数の著作を執筆しています。
さらには、テレビにも活動の場を広げており、日本テレビ「スッキリ」への出演や、2021年TBS日曜劇場「ドラゴン2」の監修を努めます。フジテレビ「土曜プレミアム・さんまの東大方程式」への出演など様々な活躍をされています。
YouTubeチャンネル「スマホ学園」を開設し、2020年6月に自身が代表取締役社長を務める株式会社カルペ・ディエムを設立しました。
YouTube「出版区」で話題に
YouTubeチャンネル「出版区」で、西岡壱誠さんが参加しました。『【永野VS東大】「最後は人間力が才能を上回る」勉強嫌いな2人が現役東大生に物申す!?【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#10】』の会が好評で、一気に本著が周知されたと思います。
「永野・鷹村の 詭弁部、はじめました!」は永野、鷹村彩花さんが、自身の意見・立場を詭弁を用いて忖度なく言い合うトークバラエティになっています。「勉強はする意味があるのか?」をトークテーマで討論を繰り広げています。
2025年3月時点で、9.7万回再生されており、コメント欄も概ね好評です。私もこの回をみて本書を買いに書店に走りました(笑)。
※【永野VS東大】「最後は人間力が才能を上回る」勉強嫌いな2人が現役東大生に物申す!?【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#10】より
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なぜ「社会」を学ぶのか?
科目の中で「社会」が苦手だって、思う方も多いと思います。その理由は、「国語」や「算数・数学」と言った他の科目と違って圧倒的に「暗記」する量が多い科目だからではないでしょうか?
例えば、社会の歴史で習う「年号」を暗記することが多いと思います。教科書を開けば、「1853年ペリー来航」と、書かれています。「社会にでたらペリー来航なんて知識は絶対に使わない!」と思うところから始まります。
ペリー来航は、日本の歴史の中で重要な出来事。
1853年、当時外国との貿易をほとんどしていない「鎖国」という政策をとっていた日本に、アメリカの東インド艦隊司令官マシュー・ペリーが、4隻の黒船を率いて来た。
ペリーは開国を求めて、日本が他の国々と貿易を行い、交流することを望んだ。当時の日本の幕府は、アメリカの強い要求にどう対応するか悩んだが、最終的には開国を受け入れることにした。
「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」145ページから146ページより
作家の佐藤優さんは、日本史や世界史を学ぶうえで「年号」を学ぶ意味を次のように説明しました。「年号とは、歴史的なできごとが、起こる前と起こったあとで世界が大きく変わったことを意味する」と話しています。
例えば、今から100年後に歴史を振り返った時に、「2020年」は歴史的に年号として、教科書に記載されると思います。そう、「新型コロナウイルスによるパンデミック」が起こった年だからです。「2020年」以前と以後では世界が大きく変わったことを私たちは歴史として経験しました。
上記のことを考えた時に、「1853年ペリー来航」によって何が変わったのかというと、日本は江戸幕府という約200年間続いた「鎖国政策を終わらせ、開国への道を歩み始めた」ということが言えると思います。
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1853年ペリー来航の謎
先ほども説明しましたが、ペリー来航は、1853年に日本へ来たとされています。なぜ、1853年だったのか?もっと早くても遅くてもよかったはずです。著者の西岡先生は、「視野を世界に向けると理解ができる」と説明します。
※1853年、またはそれ以前の世界の出来事
- 1840年 アヘン戦争 中国がイギリスと戦って負けた戦争
- 1848年 アメリカ、メキシコよりカリフォルニアを獲得
- 1851年 イギリスで第一回万国博覧会
- 1853年 クリミア戦争 イギリス・フランス・ロシアが戦争
当時の世界は、植民地争奪戦が世界各地で起こっていました。1840年「アヘン戦争」は中国(当時の清)が、イギリスと戦って負けた戦争であり、中国(清)の敗北によって香港が割譲されるなど、反植民地への道を進むきっかけになりました。
1848年にアメリカは、メキシコからカリフォルニアを獲得しました。アメリカの「マニフェスト・デスティニー」という西部拡張主義の理念に基づき、領土拡大を目指したものでした。
一方、イギリスでは第一回万国博覧会がロンドンで開催されています。世界初の国際博覧会として、産業革命の成果を世界に示す重要なイベントでした。博覧会の目的は、産業革命による技術革新や工業製品を展示し、国際的な商業と文化の交流を促進することでした。
1853年に始まったクリミア戦争は、ロシア帝国とオスマン帝国の間で勃発し、イギリス、フランス、サルデーニャ王国がオスマン帝国を支援する形で参戦した戦争です。クリミア戦争は、近代戦争の先駆けとして新しい技術や戦術が導入された点でも重要です。鉄道や電信の使用、近代的な兵器の導入が戦争の様相を変えました。戦争の規模から「第0次世界大戦」とも言われています。
1853年に欧州で戦争が始まったタイミングと同じくして、「アメリカがアジアへ通商を目的として日本にペリー来航が起きた」と説明します。日本は海外との国交を開くことで、1853年はペリー来航を通して、「近代への道」を開くターニングポイントになった年とも言えます。
※POINT:日本史だけでく世界の動きを見ることで歴史を多角的にみる視点が養える。
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歴史を学ぶことで「現代の都合の悪い真実」に気が付くことができる
1853年、ペリー来航によって、日本は近代への道を開いたと説明をしました。世界史的に見たとき、イギリスやフランスをはじめとした産業革命を経た先進諸国による、植民地化への流れであることが読み取れました。
日本でも、徳川幕府から明治維新を経て近代国家へ道を開きました。太平洋戦争による敗戦を経て戦後復興を果たしました。その戦後復興の中で、大きな役割を担った、エネルギー問題ですが、その鍵を握る「原発」も歴史の流れを見ると違った視点で見ることができます。
思想家の内田樹氏は2013年4月、ブログで「白熱したインタビュー」の内容としてこんな自身の発言を紹介している。
〈戊辰戦争ですよ! 決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟【注】が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ〉
【注:戊辰戦争中に、東北・北越の諸藩が結んだ反維新政府による軍事同盟】
これは文化祭で東北の研究を発表する高校生からインタビューを受けたときの発言である。内田氏は東京をはじめ、関東で消費される電力が福島など、関東以外の地域にある原発から供給されることを「賊軍差別」の表れだと断言し、さらには原発立地比率が戊辰戦争で勝った側と負けた側には「歴然とした差がある」、つまり原発の多くは賊軍とされた地域に立地されていると主張した。
引用:内田樹氏が指摘する「賊軍地域に原発集中」は本当か?|NEWSポストセブン
内田樹氏のブログでは、現在、日本国内に原発は17か所、54基あると説明する。その中で、原発が置かれている場所と、「戊辰戦争で賊軍」とされた旧幕府軍側だった藩のある県を照らし合わせると、13か所46基の原発が該当することになる。
他にも、近代以降、東北は開発から取り残されてきた歴史があります。ここで詳しくはふれませんが、戦前の「2・26事件」など、日本の歴史の中で暗い影を落とした経緯があります。
※POINT:学校の歴史を学んだだけでは、現代日本の「都合の悪い真実」には気がつかない。
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さいごに
ここまでお読みいただきありがとうございました。「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」を通して「社会(歴史)」を学ぶ意味と楽しさについてふれてきました。
少し、内容が難しいという意味でも、歴史の難しさにもふれたと思います。同時に、過去の歴史が現代まで続いているという意味では、社会(歴史)科を学ぶ意味とは、一言でいうと「現代のしくみを知る」ことへの一端にもなるかと思います。
ここまで、「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」の「国語編」、「算数・数学編」と続き、「社会(歴史)編」を紹介してきました。
最終回では、「探究編」をお送りします。よろしければ最後までお付き合いくださいますようお願いいたします。
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