
中国史の中でも特に人気の高い時代、「三国志」。その中で「魏」は、曹操を中心に卓越した政治力と軍事力を備えた国家として、三国時代を通して長く安定した基盤を築いた国として知られています。
一方で、三国志演義の「魏」の書かれ方としては、漢王室を簒奪した悪徳高い曹操が、丞相として君臨し国の政治を牛耳ったというイメージが強く広まりました。
宮城谷昌光「三国志」の功績のひとつに、正史をもとに三国志をとらえたことで「悪役」として書かれる曹操のイメージを一新したことが挙げられます。文武共に才能にあふれた人材が曹操の元に集まり、国家の興隆を築きあげた理由には、曹操という魅力が根底にあった左証にもなります。
本記事では、中国歴史小説の第一人者として、宮城谷昌光先生が書かれた『三国志名臣列伝〈魏篇〉』の中から、魏の創設期の名臣の中で『軍師』にスポットを当てて、その中でも、郭嘉や荀彧、荀攸といった中で名軍師の一人と数えられる『程昱』を解説します。
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この記事を読んで欲しい人もしくは読んでわかること
「三国志」は、12年という歳月をかけて古代中国歴史小説家、宮城谷昌光によって書かれました。本編だけでは書ききれなかった、魏の名臣たちに焦点を当てたのが、『三国志名臣列伝〈魏編〉』です。本記事を読むと以下のことがわかる構成となっています。
- 本書、『三国志名臣列伝〈魏編〉』についての概要をつかめます
- 「魏」を創りあげた名臣「程昱」への解説を読むことで彼の理解が進みます
- 「三国志演義」と「正史三国志」の書かれかたの違いについて読みが深まります
- 多角的に「程昱」を知るためにシュミレーションゲーム「三国志」を取り上げます

宮城谷昌光「三国志」を深く知るために「魏」を支えた名臣の中で名軍師の1人である「程昱」を紹介する記事となっています。また、三国志シュミレーションの代表作である、コーエー「三国志」を取り上げることで、多角的に「程昱」について読み解く内容となっています。
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『三国志名臣列伝〈魏編〉』とは?

『三国志名臣列伝〈魏編〉』は、歴史小説家・宮城谷昌光による人物伝シリーズの一冊で、中国三国時代の魏に仕えた名臣たちに焦点を当てた作品です。
宮城谷昌光「三国志」の大きな特徴として、従来の「三国志演義」的な英雄譚とは異なり、史実に基づいた記述と、文学的な深みを兼ね備えた作品となっています。
本作で取り上げる記事の構成としては、戦乱の時代における裏方の役割でもある『軍師」としての、「知の力」を改めて浮かび上がらせる内容となっています。
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『三国志名臣列伝〈魏編〉』に取り上げられる人物について
『三国志名臣列伝〈魏編〉』で取り上げられているのは、程昱、張遼、鍾繇、賈逵、曹真、蔣済、鄧艾など、「魏」を創り上げる創成期から、政権が司馬氏へと移る帝国末期まで幅広い時期のなかから、文官や軍師、武将や軍略家として断片的に知られている人物たちです。
宮城谷昌光先生の面白さは、彼らを単なる戦争の道具として描くのではなく、それぞれの「人格」や「思想」だけでなく、「倫理観」に焦点を当て、一人ひとりの生き様を掘り下げます。
「人格」や「思想」「倫理観」と言った視点は、人物の生きてきた背景でもあり、他の三国志作品ではうかがい知ることはできません。『三国志名臣列伝〈魏編〉』を通して、本作「三国志」では書ききれなかった「名臣とは何か」という根源的な問いに、読者を導いてくれる一冊です。
宮城谷昌光『三国志』に通底する人間観
『三国志名臣列伝〈魏編〉』で注目すべきは、本編『三国志』同様、通底する「人間観」です。たとえば、忠義とは何か?、野心とはいかなるものか?、正しさは時代によって変わるのか?。人物たちの対話や内面描写を通して、現代人にも響く普遍的なテーマが数多く投げかけられています。
曹操の覇業を支えた武将や知将たちの統率力、知略、信念、人間性に迫りながら、戦乱の時代における「真のリーダー像」とは何か?を問いかけます。
程昱の未来に対する予測性と曹操から受ける絶大な信頼。荀彧が見せる誠実さと孤高、郭嘉の早熟な天才性と儚さなど、個性豊かな各人の生き方は、現代のビジネスパーソンやリーダー像とも重なる部分が多く、読みながら自分自身の価値観と向き合うきっかけにもなるでしょう。
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『三国志名臣列伝〈魏編〉』で活躍する「軍師」とは?
三国志に登場する武将たちは、様々な個性と同時に「身分」も持ち合わせています。三国志の主人公ともいえる「曹操」や「劉備」に「孫権」といった国のリーダを「君主」といいます。
各国の「君主」を支える武将たちの身分として、軍を統括する「都督」や、領土を治める「太守」の存在。今回、紹介する身分として、君主の側で戦略や内政に対して様々な助言を与える「軍師」の存在が挙げられます。
他にも「在野」と言った、決まった「君主」に仕えることなく各領土を渡り歩く武将も存在ます。三国志に登場する身分を押さえて読むことで、個人の特徴も掴みやすくなると思います。
宮城谷昌光先生の描く三国志は正史に基づいて身分を書かれているため、中国史の知識が無いと理解が難しいところもあります。本記事で登場する「劉岱」などは、作品上では「兗州勅史」と書かれており、より歴史に忠実な表現となっています。
三国志の中で、身分別に特徴的なキャラクター挙げると…
- 君主:曹操・劉備・孫堅・袁紹・董卓・孫権
- 都督:周瑜・陸遜・諸葛誕・毌丘倹
- 軍師:荀彧・諸葛亮・魯粛・郭嘉・程昱
- 太守:劉岱・皇甫嵩・黄権・曹洪
- 将軍:関羽・張飛・趙雲・張遼・呂布
などが挙げられると思います。身分は他の役職を兼ねていることが多く、曹操や劉備なども「都督」として前線の指揮を担ったり、関羽や張遼なども「太守」として赴任もしていました。
その中で、本記事は「軍師」に焦点をあてて、『三国志名臣列伝〈魏編〉』に登場する「程昱」を取り上げます。武力や統率力だけではない、知力や信念、信頼と言った「目に見えない力」に視点を当てる記事になれればと思います。
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軍師『程昱』(ていいく)について

程昱(ていいく)は、中国後漢末期から三国時代の武将・政治家です。魏の創業時代に活躍し、初期の曹操軍に従った一人です。身長は八尺三寸(約191cm)という巨漢で、見事な髭を蓄えていたそうです。初めは程立(ていりつ)という名前であったが、若い頃にしばしば同じ夢を見たそうです。
泰山の上で両手で日を捧げる夢である。この夢を荀彧に語げたのは、該博な知識を持つ荀彧に夢占いをしてもらいたかったのであろう。
だが、さすがの荀彧も、その夢の吉凶まではわからなかったが、兗州の三城を保佑した程立の活躍をみて、あの夢は吉夢にちがいないと考え、曹操に向かって、
「程立の夢は、あなたさまにとっても吉ではありますまいか」
と、その内容を語った。泰山は天子が天を祭る山で、いわば封禅のためになくてはならぬ山である。その山の上で両手で捧げられた日とは、天下人にちがいなく、つまり曹操を指すのではないか。
うなずいた曹操は程立を呼び、
「卿は最後までわれの腹心になってくるであろう」
といい、改を勧めた。立の上に日を加えて、
「昱」
にせよ、ということである。
引用:宮城谷昌光著、『三国志名臣列伝〈魏編〉』32ページより
という逸話が残っており、この時から「程立」は「程昱」になったと言われています。それでは、程立が程昱へと名を変えることになった彼の戦歴を紹介していきます。
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東阿の策士としての「程昱」
程昱の生涯を追いかける中で、理解すべき知識として、「東阿(とうあ)県」の出身であることは重要なポイントです。東阿県の場所に関して具体的に説明すると、「兗州」に属する「東郡」の一部が東阿県となります。
「兗州」の領郡は、黄河と済水の間を流れる地であり、後漢の兗州は、陳留郡、東郡、東平郡、任城郡、泰山郡、済北国、山陽郡、済陰郡の8郡に分かれます。そのうち、東郡は秦の時代に置かれたことが始まりで、首都洛陽から東に800里に位置します。
東阿出身の程立は、「東阿の策士」と呼ばれ民衆からの信頼も厚い存在だったようです。歴史に顕れる前までの程立の経歴に関しては、「三国志演義」では描かれることはありません。『三国志名臣列伝〈魏編〉』では、程立の経歴に対して筆数を惜しまないかのように紹介されています。
知器(ちき)であることは郷里の人々から認められていたに違いないか、名門の生まれではなく、また学者になるために学問したわけではないので、その異才ぶりはめだたず、太守に招かれて官途に就いたことがなかった。
引用:宮城谷昌光著、『三国志名臣列伝〈魏編〉』19ページより
東阿県時代の程立が成した功績が、後の未来を切り開く道しるべとなります。そこで、東阿県時代の程立の活躍をまとめてみました。
- 程立の出身地である東阿(とうあ)県の県丞、王度の反乱から城を堅守する
- 袁紹と公孫瓚が争う中、程立は兗州勅史の劉岱に袁紹に味方するよう進言する
- 曹操の辟招に応える。程立は寿張県(東阿(とうあ)県の南東にある)の守りを任される
東阿県の反乱から城を守ったことで名を上げた程立は、当時名声の高い劉岱からの誘いを受けるなど厚遇を得ますが、程立は無碍(むげ)も無く断ります。ですが、兗州勅史の劉岱を裏で助言するなどの活躍を見せます。その最中、曹操からの誘いに応えることで、寿張県(東阿県南東)の守りを任されることになります。
兗州を狙う袁術、曹操の戦略で巧みに退ける
漢の宮城でもある洛陽にあって、宦官掃討の先陣を切ったのは董卓ではなく袁術でした。ですが、宮中の実態を見た袁術は嫌悪感を覚える様に洛陽を去ります。
当時、稀代の勇将と言われた孫堅を使い、董卓の兵を撃破。洛陽へと進軍を進め、天下を手中に治めようとする董卓の後釜になるべく、兗州に兵を入れ天下の喜望を失わない袁術の存在がありました。一方、黄巾の降伏した兵士30万を受け入れ、精鋭部隊を作り上げる曹操。押し寄せる袁術軍をものともせずに兵を進め打ち払います。
曹操の兵士の気力に押されるように、袁術は南へと後退。敗戦を重ね、揚州の九江郡まで下がります。この時代の英雄であった袁術は、敗戦を以って天下取りの第一線から退きます。
袁術の書かれかたとして「三国志演義」では、孫堅や孫策を小間使いの様に消費した挙句、董卓や呂布との敗戦に敗れ、哀れに朽ちていく存在として書かれています。
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不俱戴天の仇「徐州征伐」
兗州にとって、袁術による一難は去りましたが、状況は変わります。曹操の個人的不幸として困難が襲い掛かります。戦禍を避けていた、曹操の父「曹嵩」と弟「曹徳」が徐州の兵に殺される事件が起きてしまいます。
儒教には、
「不倶戴天」
という思想がある。父の仇ととおなじ天の下にてはならない。必ず父の仇を討たねばならない。父母がこの世でもっとも尊い人であるという通念は、おそらく儒教が生まれる前からあったであろう。
嚇怒した曹操は全力で徐州を討つことにした。その際、謀臣の一人である荀彧を、本拠である甄城に残して留守させたが、再考した曹操は、
「寿張県に使いを――」
と、側近にいい、程立を呼び寄せた。虫が知らせたのかもしれない。うわさにまどわされない信念をもって事にあたることができるのは、荀彧と程立だ、と曹操はふたりの本質を洞察していた。
引用:宮城谷昌光著、『三国志名臣列伝〈魏編〉』28ページより
この遠征のあいだ、曹操が留守なことを良いことに、兗州を奪ってしまうという陰謀が進行していました。その陰謀の主が陳宮であり、張邈を説いて董卓を殺害した呂布を招き入れ兗州を奪取しようとします。
程昱、荀彧を補佐し兗州を護る
当時の呂布は、献帝のために董卓を殺害し、残された董卓配下と戦い続けながら敗れ彷徨います。曹操軍の軍師として信頼されていた陳宮と張邈の策謀は、呂布を仲間に引き入れることで武力を得て兗州を簒奪する戦術を描きました。
当時、軍師の一人として曹操から信頼を得ていた陳宮が、なぜ曹操から離れ裏切ることになったのか?正史も含め歴史は応えてくれません。その答えを宮城谷昌光先生は、当時の状況と人間関係のバランスから予測を立てて筆を進めます。
張邈は、甄城をだまし取ろうと使者を遣います。この策謀を看破したのが荀彧です。東郡太守の夏侯惇を素早く招いて守備を厚くしました。なんとか最悪の危機を脱したものの、呂布の威名におびえ兗州のほとんどは反乱軍に降伏してしまいます。
気がつくと、甄城のほかに范城と東阿城しか降伏を拒むものはおらず、徐州から帰還する曹操の命運は風前の灯となってしまいます。憂慮した荀彧は程立を招いて「あなたには人望がある。東阿へ帰り説いてくれまいか」と頼みます。
程立は、東阿の南に位置する范城へ急行し県令に会います。県令は母と弟を人質に取られており、つらい立場にあることはわかっていました。
(前略)程立が相手を説得するときに用いることばには、適度の重みと浸潤性があり、相手の胸の深いところにとどく。そのことばは程立という人格から発し、信念の勁さをともなっている、ともいえる。
引用:宮城谷昌光著、『三国志名臣列伝〈魏編〉』31ページより
程立の説得を心の深いところで聴いた県令は、落涙して范城を守ることを約束しました。この時代に限らず、母を人質に取られて降伏しない者はほとんどいません。儒教は、主への忠誠よりも親への孝行が優ります。
范城を降伏させるために遣わされた陳宮の使者は、県令が裏切るはずはないと思っているので、不用心のまま降伏の会見の席につきました。兵を伏せていた県令は陳宮の使者を刺殺すると城に戻り守りを固めました。
東阿の県令は、しっかりと守備を固めており官民を統率しています。その姿を見て「東阿城が落ちることはない」と、程立は確信します。甄城へと帰還した程立は曹操の帰着を待ちます。
晩秋にさしかかるころに帰還した曹操は、まず荀彧をねぎらい、次に程立の手を取って「そなたの力がなければ、われには帰るところがなかった」と、謝意を籠めて言いました。
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曹操、程立に改名を勧め「程昱」と名乗る
始めに紹介しましたエピソードに戻ります。荀彧の勧めを受けて、曹操は程立に「立の上に日を加えて『昱(いく)』にせよ」と、改名を勧めました。
この時から、程立は程昱になりました。留守の功が認められて、東平国の相に昇進します。この後も、程昱は曹操に対して的確な進言を行います。そのことによって曹操は天下への足掛かりを得ることになります。
程昱が曹操に対して行ってきた進言の中には「三国志演義」では書かれないエピソードや、進言を退けられたモノもあります。以下は、程昱が曹操に進言してきた内容を箇条書きでまとめました。
曹操、程昱の進言を容れることで天下への足掛かりを得る
程昱が曹操に対して行ってきた進言の中で、特に印象的な場面として、呂布との闘いで兗州が疲弊しまい曹操が弱気になってしまいます。「袁紹への助力を請うために家族を人質に送ろうか」と、考えてしまう曹操を、程昱が励ます場面が微笑ましく印象的です。
家族を人質に取られてしまっては、天下取りへの道を諦めてしまうことになります。「あなた様が袁紹の下風に立つことなどできるのでしょうか。どうかよくお考えください」と、程昱が曹操を励ます場面は特に印象的ですが、面白いことに三国志演義ではみられません。
三国志演義では、強大な悪役とみなされる曹操へのイメージを損なうためか、程昱が曹操を励ますエピソードは採用されていないとことも三国志演義を知る上での一つのポイントです。
呂布との闘いに勝利をおさめ、袁紹との戦に向けて曹操は天下取りへの足取りを築きます。その陰に「軍師」である、程昱や荀彧、郭嘉や荀彧などの暗躍がありました。簡単ではありますが、程昱の活躍をまとめてみました。
- 呂布との闘いの中で兗州が疲弊し袁紹への帰順を考えた曹操を程昱が諫め励ます
- 荀彧と程昱は共に曹操へ献策を行い、献帝を迎え入れ許県に遷都を進言する
- 曹操の元に逃げてきた劉備を、程昱は「殺すべきです」と、曹操に献言するが退けられる
この後、天下の三分の二を手中に治めた曹操は南征に失敗し赤壁の戦いで惨敗してしまいます。そんな時でさえ、曹操は近くにいた程昱の背中をたたき、「兗州を失いかけたとき、君の言を用いなかったら、われはここに至っていないであろうよ」と、笑って言います。
それほどまでに、曹操に感謝された臣は他に居ないと、程昱の族人たちは大宴会をひらいて喜びます。その風景を渋い顔で眺める程昱がいました。
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程昱、足ることを知り引退を決意する
族人たちは、程昱が曹操に大いに称賛され、信頼されたことを喜びます。牛と酒を捧げて大宴会を催します。喜び噪(さわ)ぐ、族人たちの姿を見た程昱は、「足るを知れば、辱めをうけない。われは引退すべきだ」と、言って兵を返上し門を閉ざして外に出なくなります。その態度は引退を表明したことになります。
程昱は、他者と折り合いができないところもあり、衝突をすることもしばしばあったそうです。言うならば、「嫉妬される立場」でもあった程昱に対し、兵を返上し門を閉ざして外に出なくなったことを見た「嫉妬する立場」の者が、「程昱は謀反します」と讒言する始末。
「程昱にかぎってそのようなことはない」と曹操は取り合わなかったそうです。その後も隠遁させるわけにはいかないと、役職を与えては出仕させようと曹操は考えます。
程昱の性格として、他者と折り合いができないところ(意図的では?と、個人的に思ってしまいます)があり、引退と出仕を重ねてはトラブルになり罷免されてしまいます。
「余生を静かに過ごせる」と思っていた程昱ですが、曹操が逝去し太子の曹丕からのラブコールで出仕に応じる場面もあります。好悪をはっきりする気質の曹丕にも好かれた程昱ですが、享年が尽きました。八十歳であったそうです。人臣の位を極める「三公の位」に昇る直前だったそうです。その死を哀しんだ曹丕は、車騎将軍を追贈し、諡号を「粛候」としました。
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歴史シュミレーション「三国志8 REMAKE 」から見る「程昱」

程昱という人物について、『三国志名臣列伝〈魏編〉』を参考に紹介してきました。さらに、多角的に程昱を読み解くための補助線として、歴史シュミレーションの大家ともいえる、コーエー『三國志8 REMAKE』を取り上げます。
「三國志8 REMAKE」は、「千の武将の無限のドラマ」をコンセプトに、2024年にPS(プレイスティション)5から発売されました。『三國志VIII』から、20年の時を超えてのリメイク作と銘打たれていますが「最新作」と言っても良い程のクオリティになっています。
本来の「三国志」シリーズでは、中国全土の天下統一を目標として「君主」の一人を選び、人材を登用し内政や軍事で国力を強くしていきます。他国との外交や計略を用いて、敵国の力を弱めることで戦争をしかけ侵攻し領土を拡張していくことが主題となっています。
「三国志8 REMAKE 」の特徴として
歴代の「三国志」シリーズと「三国志8 REMAKE 」の大きな違いは、三国時代に登場する武将の一人を選ぶことができます。主人公(プレイヤー)は、天下統一を目指すも良し、軍師として主を支えるも良し、果てなく中国国土をさすらうも良し。生き方は主人公(プレイヤー)次第という自由度の高さが魅力の一つでもあります。
「三国志8 REMAKE 」をプレイする中で、様々なイベント「演義伝」が発生し、主人公の立場や勢力の状況が変化することがあります。演義伝では、主人公の身の回りのことや、歴史が動く大事件などを体験できます。
演義伝の特徴として、歴史的事件が発生することで勢力が大きく変わったり、人間関係の変化や死による別れを通して「三国志演義」の物語を追体験できるシステムとなっています。
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「三国志8 REMAKE 」による「程昱」の能力値として
「三国志8 REMAKE 」では、武将一人一人に能力値が割り当てられています。「統率力」や「武力」と言った戦争や一騎打ちの際に活用される能力から、「知力」や「政治」、「魅力」と言った、内政や外交において重宝される能力が割り当てられます。
基本的に数値化される能力に加えて、「性格」や「物欲」「義理」といった行動指針となる能力に加えて、「興味」や「重視名声」といった面白い要素も含まれています。
関係性を示す設定として、「父親」「母親」「子ども」「義兄弟」「配偶者」といった家族構成も人間関係の親密(険悪)さを示す指標になります。加えて、「敬愛」や「仇敵」、「信頼」から「好意」「嫌悪」果ては「無視」まで、様々な要素がゲームを進行する上で複雑な人間関係を構築していきます。以上を踏まえた上で、程昱の能力を見ていきます。
程昱(テイイク)
基本情報として、【名前(字):程昱(仲徳)】【生年:141年】【没年:220年】【寿命:80歳】とされており、歴史に即した情報となっています。また、【性格:豪胆】【重視名声:文武不問】【物欲:普通】【興味:書物】と、基本情報を追いかけることで程昱の個性が見えてきます。
次に程昱の能力値は以下の通りになります。
※POINT:基本能力値
- 統率:76 (軍を率いる能力値)
- 武力:46 (一騎打ちなどで相手に与える攻撃力)
- 知力:92 (計略や内政、外交時の舌戦時に大きな効力を発揮します)
- 政治:76 (内政や外交に影響を与えます)
- 魅力:58 (交渉力に影響を与えます)
上記の能力値から見ると、軍を率いる「統率力:76」と高いことが解ります。東阿(とうあ)県の県丞、王度の反乱から城を堅守したことや、寿張県(東阿(とうあ)県の南東にある)の守りを任されたこと、范城と東阿城を呂布軍率いる陳宮から護り抜いたことが能力に影響されたと思われます。
注目すべきは「知力:92」という能力の高さです。劉備が将来の大きな障害になると見抜き、曹操に始末する様に進言したことや、献帝を招いて遷都を献策するといった、未来を見通す力が評価されたと思われます。また、他者とのトラブルが絶えなかったことから「魅力:58」という平凡値になったのでは?と思うと微笑ましいです。
他にも行動指針を表す指標として、【敬愛:郭嘉・荀彧・荀攸】【好意:程武】【嫌悪:劉岱】など、程昱の歴史をたどると理解が深まる設定になっています。
宮城谷昌光先生がゲーム実況をしていた!?
『三国志名臣列伝』シリーズの最終章として、2025年5月28日に『三国志名臣列伝 呉篇』が発売されました。著書の発売を記念して、宮城谷昌光先生が、初代作品でもある光栄「三国志」をゲーム実況するという面白いイベントがYouTubeに公開されました。
宮城谷昌光さんの「三国志名臣列伝」シリーズの完結を記念して、丸善ジュンク堂書店スタッフが、歴史シュミレーションゲームでおなじみのコーエーテクモゲームスさんの初代『三國志』を、宮城谷さんと一緒にプレイし洛陽奪取を目指します。
引用:「宮城谷昌光さんと一緒にゲーム実況がしたい」より
懐かしいファミリーコンピューター版の初代「三国志」画面を微笑ましく眺めながら、宮城谷昌光先生はシナリオ「董卓打倒(189年)」を選び、君主「劉備」を選んでプレイします。
あえて史実に取らわれず、早々と荊州に高跳びするところから始まり、忠誠心が低い「賈詡」や「呂布」を引き抜くために奔走するなどみどころある内容となっています。
【宮城谷昌光先生のYouTubeを観るなら:宮城谷昌光さんと一緒にゲーム実況がしたい】
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さいごに(まとめとして)
『三国志名臣列伝〈魏編〉』を紐解きながら、程昱の生き様を追いかけることで魅力について深堀りする構成内容として記事を書いてみました。補助線として、「三国志8 REMAKE 」から程昱の能力について検証することで、史実や演義に基づいた能力値を数値化することで客観的にとらえることにも挑戦してみました。
おまけとして、YouTube「宮城谷昌光さんと一緒にゲーム実況がしたい」を紹介することで、普段見れない宮城谷昌光先生の表情が観られたことも大きな収穫だったと思います。
本記事を読んで、宮城谷昌光先生の三国志の世界に興味を持たれた方は、ぜひ一度、本シリーズである『三国志』や『三国志名臣列伝〈魏編〉』を手に取ってお読みいただくことをお勧めします。
歴史は、自身の生き方や物事に対する考えかたを教えてくれる指標ともなります。知りえた知識は積み重ねることで教養へと昇華されていきます。ぜひ、読書体験を通して三国志の世界にふれてみて欲しいと思います。
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【関連記事:宮城谷昌光著、『三国志入門』を読んで教養を身につける~「演義」と「正史」から主要人物を学ぶ~】
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