この記事を読まれるかたの中には、「なんのために勉強するのか?」その問いに明確な答えを持てず、学ぶ意欲を失っていませんか?本記事では、東大生の学び方を通じて、勉強の本質とその意義を再発見し、日常や仕事に活かせる思考力を育むヒントをお届けします。
私も学生時代、「マイナスとマイナスをかけるとプラスになる理由を教えてください」と、先生に聞いたらすごく怒られて以来、数学には拒否反応を示していました。ですが、人生は(特に社会に出てから)学びと実践によって楽しく充実したものになります。近年、「教養ブーム」の影響もあり「リスキリング(学び直し)」もビジネスパーソンを中心に勉強の必要性を実感されている方も多いです。
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はじめに:勉強の本当の意味とは?
「勉強は何のためにするのか?」——多くの人が一度は抱くこの問いに、明確な答えを持つ人は少ないかもしれません。テストのため、受験のため、就職のため……そんな“目的のための手段”として勉強を捉える人が多いでしょう。しかし、西岡壱誠著『読んだら勉強したくなる東大生の学び方』では、それだけでは不十分であると語られています。
本書の中で語られるのは、「勉強は人生をより良く生きるための“武器”である」という視点です。たとえば、数学で学ぶのは計算だけでなく、「問題を分解し、筋道立てて解く力」。国語では、「相手の意図を読み取り、自分の考えを伝える力」が養われます。つまり、勉強とはただ知識を得る行為ではなく、 “考える力”を育む訓練なのです。
このような論理的思考力や表現力は、社会に出てからも非常に役立ちます。仕事での課題解決、人間関係での意思疎通、人生の選択で迷ったときの判断力——これらはすべて、勉強を通じて得られる力に支えられています。
勉強の本質は、未来を生きる自分自身の「武器」を手に入れること。そしてそれは、テストの点数ではなく、自分の頭で考え抜く力を養うためにあるのです。この視点を持つことで、学ぶことへのモチベーションは大きく変わるはずです。
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著書の西岡壱誠さんのプロフィールについて
西岡壱誠(にしおか いっせい)さんは、1996年3月13日生まれの日本の著作家です。東京都府中市出身で、出生地は北海道札幌市です。彼は東京大学経済学部に在学中であり、現役東大生作家としても活動しています。
東京大学進学後は、家庭教師としても活動するほか、「現役東大生作家」として多数の著作を執筆しています。特に、自身の読書法をまとめた『東大読書』はシリーズ累計45万部を売り上げるベストセラーとなりました。また、東京大学では書評誌「ひろば」の編集長を務めています。
テレビでも活躍
さらには、テレビにも活動の場を広げており、日本テレビ「スッキリ」への出演や、2021年TBS日曜劇場「ドラゴン2」の監修を努めます。フジテレビ「土曜プレミアム・さんまの東大方程式」への出演など様々な活躍をされています。
YouTubeチャンネル「スマホ学園」を開設し、2020年6月に自身が代表取締役社長を務める株式会社カルペ・ディエムを設立しました。
彼の著書には、『超カンタンなのにあっという間に覚えられる! 現役東大生が教える「ゲーム式」暗記術』や『「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく東大読書』などがあります。
【西岡壱誠さんYouTubeチャンネル:「スマホ学園」 – YouTube】
YouTube「出版区」で話題に
YouTubeチャンネル「出版区」で、西岡壱誠さんが参加しました。『【永野VS東大】「最後は人間力が才能を上回る」勉強嫌いな2人が現役東大生に物申す!?【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#10】』の会が好評で、一気に本著が周知されたと思います。
「永野・鷹村の 詭弁部、はじめました!」は永野、鷹村彩花さんが、自身の意見・立場を詭弁を用いて忖度なく言い合うトークバラエティになっています。「勉強はする意味があるのか?」をトークテーマで討論を繰り広げています。
その中で「算数・数学」ができないと詐欺られると、ショッキングな内容で「広告の詐欺の実態」を暴くなど、「数学はそういう世界のはなしで、日常生活とは切り離しがちですけど、1番なんか近いですよね」と、永野さんも驚嘆させられています。
2025年3月時点で、9.7万回再生されており、コメント欄も概ね好評です。私もこの回をみて本書を買いに書店に走りました(笑)。
【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#10、を観るなら:【永野VS東大】「最後は人間力が才能を上回る」勉強嫌いな2人が現役東大生に物申す!?【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#10】】より
一時間目:「算数・数学」編を読んで解ること
- 数字の魅力を通じて算数の楽しさがわかります。
- 情報に騙されない地頭が鍛えられます。
- 「関数」を学べば人生の質が上がります。
正直、私も算数や数学は得意なほうではありません。ですが、「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」を読んで、算数や数学を学ぶことで、数字に対する概念や取り組むべき問題の抽出など、人生において応用できることがたくさんありました。この記事をまとめながら復習の意味を込めて書いてきたいと思います。
なぜ「算数・数学」を学ぶのか?
結論、「なぜ算数・数学を学ぶのか?」と言われれば「思考の仕方を学ぶこと」と、言えます。
「二次関数なんて、生きていくうえで使う機会なんて絶対にない!」や「今どき、スマホにでさえ計算機が付いている時代なのに算数なんて必要ないんじゃない?」などと思うかもしれません。
本著「読んだら勉強したくなる東大生の学び方」では算数・数学を学ぶ意味を以下のように説明します。
東大教授の西成活裕氏は、著書『東大教授の考え続ける力がつく思考習慣』の中で、「多段思考力」という能力を説明しています。これは、「常に思考の階段のもう一段先を考える力」のことであり、この能力があれば勉強だけでなく仕事でも活躍できると述べています。常に一歩先を見ていて、「A」という事象を見て、「AということはBだな」と、もう一歩先の「B」を思考することが出来るようになるのが、算数・数学を勉強する中で身に付いていくなのだ、と。たしかに計算をしている時、「これはこうなるだろうな」「こうした方が後の計算が楽になるな」と先読みしていますよね。要するに、先読みする力が算数や数学を勉強する中で身に付いていくということですね。
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」87ページ
導入として「数の不思議さ」から始まります。数字の持つ魅力や不思議さ日本の風習など、算数にとらわれずに解説していきたいと思います。
12の不思議について
12という数字は不思議な数字で、世界中、世の中の至るところに存在しています。12で構成される概念をあげていきますね。
- 午前と午後(12時間で構成される)
- 1年(12カ月で構成される)
- 12星座(占い好きなら当たり前)
- 1ダース(12で構成)
- 干支(子丑寅辰巳…)
などなど、挙げればいくつも思い浮かべます。なぜ、12という数字で構成される概念が多いのか、本著では12という数字が「約数(その整数を割り切ることができる整数のこと)」だからと説明されます。
12という数字は約数が多いです。2でも3でも4でも6でも割り切れます。そして、割り切れるということは、いろんなメリットがあります。
例えば、12個のお菓子があるとき、2人でも3人でも4人でも6人でも均等に分配することができます。
これが10個だった場合は、こうはできないでしょう。10個のお菓子を、3人や4人で割り切ることはできません。3人兄弟で10個のお菓子を分け合う状態だったら、ケンカになってしまうかもしれません。
これとお同じことが、時間でも言えます。1年は4つの季節で分割されていますが、仮に10カ月だったら、4つの季節では割り切れないですよね。1年が12ヶ月だから、4つの季節に分割できるわけです。1年が10ヶ月だったら、もしかしたら四季はなかったかもしれないのです!
「多くの数で割り切れる」というのは、様々なメリットがあるのです。だからこそ12という数は多くの場所で使われていると考えられます。
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」87ページ
13という数字は「不吉」な数字とも言われますが、12とは逆に「素数(1とその数以外を約数にもたない)」だからではないか?と考察しています。面白いですね!

余談ですが、4という数字も「不吉」だと、言われますが、「言霊」と言う概念からきており、「4(し)」が「死(し)」に通じるからだと言われています。
算数を学べば騙されなくなる!
『この世の中には、「未来を正確に言い当てる手紙が届く」と言うようなことが起こりえます。』と、聞けば「その、手紙を使ってお金稼ぎに使えるのでは?」そう、誰もが一度は考えたくなりますよね。その考えを逆手にとった問題です。
あるお金持ちのところに手紙が届いた。「私は未来を見ることができます。今月の株価は上がるでしょう」。すると本当に株は上がった。次の月も手紙が来た。「今月の株価は下がるでしょう」。すると本当に株価は下がった。こうして10回ほど手紙が届いたが、いずれも未来が当たっていた。そして「こんなふうに自分は未来を当てることができますので、お金を私に預けてみませんか?」と書いてあった。・・・・・さて、この手紙の送り主はどうして株価を予測することができたのでしょう。
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」98ページ
私なら預けるな・・・と、つい考えてしまいました。これは、有名な詐欺の手口だそうなのでご注意くださいね。答えは「分母」で考えるでした。
「『来月は株価が上がる』と書かれた手紙」と「『来月は株価が下がる』と書かれた手紙」を同時に多くの人(例えば1000人ずつ、合計2000人に送ります)に送ります。
結果、株価が上がれば「『来月は株価が上がる』と書かれた手紙」を送った1000人に、同じように「『来月は株価が上がる』と書かれた手紙」と「『来月は株価が下がる』と書かれた手紙」を同時に、500人ずつに分けて送ります。
上記の内容を10回繰り返すと、ちょうど確率論で残る1名に「こんなふうに自分は未来を当てることができますので、お金を私に預けてみませんか?」と書いてある手紙を送れば詐欺の完成です。9回目でも、8回目でも7回目でも残った何人かに「こんなふうに自分は未来を当てることができますので、お金を私に預けてみませんか?」と書いてある手紙を送れば騙されるかたもいるかもしれませんね(良い子はマネしちゃダメよ)。
※POINT:算数と確率を学べば詐欺に騙されなくなる!
時間を「定数」と「変数」で捉えれば人生は上手くいく!
小学校では、「算数」の授業で「四則(足し算、引き算、掛け算、割り算)」を中心に習います。ですが、中学に上がると「X」や「Y」と言った記号を用いた「関数」を学びます。「関数なんて、社会に出て使った記憶がないんだけど?」と、言う前にもう少し続きをお読みください(汗)。実際に、本著から具体的な例を出しますね。
例えば、
3x+6=y
という式がある。このxには、いろんな数が入る。xの数が変わるごとによって、yの数が固定される。
例えば、x=1のとき、y=9。x=3のとき、y=15。こうした、「xが決まるとyの値が1つに決まる数のこと」を「関数」という。
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」114ページから115ページ
上記の問題(問①:x=1のとき、y=9 問②:x=3のとき、y=15)を実際に式に直してみると
問①:3×1+6=9
問②:3×3+6=15
という式が成立しますね。この「x」は、変わる数なので「変数」と言います。対して、この式にある「+6」は変化しないので「定数」と言います。そこで、数学で使う関数を「自分の成長するための数式」に変換してみました。
A(自分を磨くための努力の時間)+B (尊重できる人との時間)-C(遊んだり、スマホしたり、ボーっとしている時間)-D(睡眠したいり、食事したり、どうしても発生してしまう時間)=E(自分の成長)
→ A + B - C - D = E
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」116ページ
AからDまでのうち、どれが「定数」と言えるでしょうか?やはり、D(睡眠したいり、食事したり、どうしても発生してしまう時間)は「生きるために必要な時間」なので「定数」と言えます。
対して、「自分の気持ち次第で時間の割り当てを変えられる時間」を「変数」と言います。ここで、面白い考えかたなのは「大事な時間」と「無駄な時間」を「+(プラス)」と「-(マイナス)」で考えることが出来ることだと思います。
1日(24時間)の中で、D(食事や睡眠、お風呂など、生きるために必要な時間)を10時間で設定してみましょう。残りの12時間を、A~C「自分の気持ち次第で時間の割り当てを変えられる時間」である「変数」に、いかに割り振るかで、E(自分の成長)が決まります。
※POINT:時間を「定数」と「変数」に分けることで「努力のしかた」が見える。同時に「時間が有限である」ということも理解できる。
休憩時間:二時間目「国語」編の前置きとして
日頃(昔)、学校の勉強をしていて、「難しい文法を勉強して何の意味があるのだろうか?」と言う疑問を感じたことはありませんか?また、「社会にでて、古文や昔の小説を読んで何の役に立つかわからない」と、先生や親に訴えては困らせたことはありませんか?一生使わない漢字を覚えさせられるのも苦痛ですよね。「スマホで漢字変換機能を使えばいいじゃん!」と感じると思います。
日本で生きている以上、日本語は喋れる訳だし、わからないことはGoogleで検索すれば難しい漢字や難しい出来事など、どんなことでも教えてくれます。そんなことから、「勉強は役にたたない」と思うことがあると思います。
ですが、人生は勉強によって視野が広がり、日常に起こる出来事やとらえかたも様々な視点から認識ができるようになります。そう言ったスキルのことを、少し難しい言葉で表現すると「教養」と言い、教養力を高めることで人生が充実したものになります。
今回、「社会にでたら使うこともないのに国語を勉強をする意味がない」と思うあなたに、「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」の「国語編」を紹介します。
二時間目:「国語」編を読んで解ること
- なぜ「国語」を学ぶのか?根本理由がわかります
- 受験のための勉強から「生きるため」の学びへと考え方が変わります
- 教養を高めることであなたの見える世界が広がります。
本記事で紹介する内容を読めば、勉強嫌いな方でも、「国語を学ぶ意味」への理解が深まります。
なぜなら、実際に私も不登校をしていた時期もあり勉強に背を向けていた頃もありました。ですが、高校時代に国語の教師から「勉強する意味」を教えてもらい大学へ進学することが出来ました。卒業から20年以上たった今でも、読書や体験を通して学ぶことを続けています。
なぜ?私たちは「国語を学ぶのか?」
結論、「なぜ国語を学ぶのか?」と言われれば「あなたのみえる世界を正確にとらえることができるから」と、言えます。普段、日本語を日常に話していると「国語なんて、普段から会話で話しているし理解しているよ。漢字なんてスマホがあればすぐに調べられるし学ぶ必要なんてないじゃないか」などと思うかもしれません。
本著「読んだら勉強したくなる東大生の学び方」では国語を学ぶ意味を「人間社会で生きていくなら『国語』が土台」だと説明します。
例えばビジネスパーソンは上司や取引先の言うことを聞いて「そうなんですね、○○なんですね」と、相手の言葉を言い換えて理解を示した方がいいと言われています。ただ、「なるほど」とだけ言っていると「お前、本当にわかってんのか?」「話を合わせているだけなんじゃないの?」と怒られてしまうわけです。
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」14ページより
そこで、必要になるスキルが「語彙力(ボキャブラリー)」だと言います。語彙力とは、言葉の知識や運用能力のことを指します。具体的には、語彙(単語やフレーズ)を多く知り、それらを適切に使いこなす力です。
語彙力が高いと、さまざまな状況や相手に応じた表現ができ、コミュニケーションが円滑に進みます。相手が言った話を言い換えて聞き返したり、具体的な事例を出して確認するなどコミュニケーション能力が問われます。
また、文章を書く技術や読み解く読解力なども、社会にでると必要な技術になります。文章を理解したり、自分の考えを明確に伝えることが容易になります。語彙力は、学習や読書などを通じて継続的に向上させることができます。
そこで、今、国語を学ぶべき3つの理由を上げていきます。
国語を学ぶ理由その①:事実と意見の違いを見分ける「解釈力」が身につく
現在、YouTubeで活躍される、ひろゆき氏は「それってあなたの感想ですよね?」で数々の専門家やコメンテーターを論破してきました。痛快に論破していく彼の姿に「それってあなたの感想ですよね?」とマネをする子ども達も増えて、一時は問題にもなりました。
大人の中でも「事実」と「意見」を混同して発言してしまう人は多いと思います。質問に対して「事実を求められている」事柄に対して「自分の意見を混同させてしまう」ことで「それってあなたの感想ですよね?」と、論破される構造が出来てしまいます。
西岡壱誠さんは「事実と意見を分けて考える科目」が国語を学ぶ意味だと説明します。例題として「太郎はからかわれたように感じて、一郎を殴ってしまった」を取り上げます。
事実:太郎くんは一郎を殴った
太郎くんは、一郎くんから、からかわれたと感じた
意見(太郎くんの意見):一郎くんは、太郎くんのことをからかった
引用:「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」45~46ページより
一郎くんは太郎くんのことをからかったかどうかは、からかわれたと感じた太郎くん本人の解釈であって実際はわからない。あくまで、太郎くんの意見なのです。ですが、太郎くんは一郎くんからからかわれたと感じたことは事実なわけです。
例題のような短い文章でも、事実と意見を分けて考える難しさが理解できればと思います。
※POINT:発言の中で「事実」と「意見」をまぜて考えると「感想」になってしまうので注意が必要。事実を訴えたつもりが「それってあなたの感想ですよね?」と論破される危険性も…
国語を学ぶ理由その②:陰謀論にはまならいためにも
学ぶ理由その①で「解釈力」についてふれました。その解釈力も間違った方向に「国語」を使ってしまうと、ネットや言論ではびこる陰謀論にはまってしまう可能性があります。
人が陰謀論にはまる理由には、心理的な不安や社会的な孤立感、情報リテラシーの欠如などが挙げられます。特に現代社会では、複雑な出来事や災害、社会問題に直面した際に、「なぜ起こったのか」を理解しようとする欲求が高まります。その答えが見つからないと、人は「裏に何かあるに違いない」と考え、陰謀論に魅かれるのです。
ここで大切になるのが「国語力」、すなわち言語を通して思考し、他者と意思疎通を図る力です。陰謀論は往々にして感情的で断片的な情報に基づいています。それらを正しく読み解き、真偽を見極めるには、文章を論理的に読解し、多様な視点から物事を考える力が必要です。つまり、国語力は単なる教科の枠を超え、社会の情報と向き合うための基盤とも言えます。
また、国語を通して育まれる批判的思考力や共感力は、他人の立場や意図を想像することにもつながります。陰謀論に陥りがちな「敵と味方の二元論」から脱し、複雑な現実を多面的に捉える力が養われるのです。
また、「○○(結果)なのは○○(原因)のせいだ!」と言うフレーズが、SNSを中心にネット界隈でさまざまなトピックが飛び交っています。原因(因)が結果(果)を生じさせるという概念を「因果関係」と、言います。
陰謀論の課題は「因果関係に対する根拠が不確実であること」に加えて「陰謀論を信じることで、自分が特別な情報を持っていると感じることができる」ため、一部の人々にとって魅力的な情報源になっていることです。
このように、陰謀論に引き込まれる背景には人間の根源的な不安や理解欲求があり、それに抗うためには国語を通じて育つ力が大きな役割を果たします。情報に踊らされず、冷静に考えるためにこそ、国語は今こそ重要なのです。
※POINT:「信じるか信じないかはあなた次第」という無責任な根拠に信頼を置いてしまう弊害が陰謀論の怖いところであることを理解する。
国語を学ぶ理由その③:相手の気持ちを正確にくみ取れる
国語を学ぶ理由、最後の3つ目は「相手の気持ちを正確にくみ取る能力が向上する」と、説明します。lineなどの文章のやり取りの中で「私はあなたのことを〇〇と思います」と、書かれる場合と「私はあなたのことを〇〇と想います」では、どちらが「好意を寄せていると感じるでしょうか?」
まずは「思い」の意味から確認してみたいと思います。
「思い」は「考え」「気持ち」という意味。とくに、「思惑」「思考」のような漢字に使われていることからわかるように「頭のなかで作り出した論理的な考え」に使われます。
例文1:私の思いとしては、当サービスを海外に進出させたいです。
例文2:御社への思いは誰よりも強いと自負しております。
【引用記事:思いと想いの意味の違いと使い分け|例文や英語表現も紹介 | BizLog】
次に「想い」の意味を確認してみます。
「想い」の意味も「気持ち」です。しかし、「思い」とは違って「心のなかにふと湧き上がった気持ち」を表現するのが特徴。「想起」「発想」のように「ふわりと浮かび上がる心のなかのイメージ」を意味する言葉に「想」が使われていることからもわかりますね。
例文1:あの懐かしい風景をみて、君のことを想うよ。
例文2:心のなかに秘めていた想いを打ち明ける。
【引用記事:思いと想いの意味の違いと使い分け|例文や英語表現も紹介 | BizLog】
また、先ほどの応用編として、書かれる漢字をいくつか使い分けることによって、その人の思いや想いがわかるようになります。もうひとつ、「みる」という言葉を挙げたいと思います。
※POINT:「みる」と言う漢字には様々な感じがあてられます。
見る:目で視覚的にとらえる。
診る:医者が患者を診察する。
視る:注意深く観察する。
看る:世話をする、見守る(特に看護)。
観る:映画や景色、イベントなどを鑑賞する。
「熱を出した娘の面倒を看なければならない」、「あなたの顔を見た」、「昨日、観た映画がヤバかった」など、漢字の書きかたを使い分けることで、あなたの置かれている状況や感情まで感じひとつで表現できるのです。
さまざまな言葉や漢字を学ぶことによって、文章で表現する時に使い分けができれば国語の魅力も解ってくると思います。また文章を読むときに「書いた人の意図や感情が文面や漢字からくみ取れる」ようになります。
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休憩時間:三時間目「社会」編の前置きとして
昔、社会の勉強をしている時に思ったことがあります。「暗記ばかりでつまらない」や「テレビのニュースが理解できない」、「知りたいことなんてネット検索をすれば良いじゃないか」と。当時、インターネットなんてなかった時代ですが、今の私なら思うはずです。「ネットで検索すればいいじゃん」と。
「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」を読めば「社会」を学ぶ意味と楽しさがわかると思います。社会科を学ぶ意味とは、一言でいうと「世の中のしくみを知る」ことだと思います。学生だけでなく、社会人にとっても社会を学ぶ意義は十分にあると言えます。
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三時間目:「社会」編を読んで解ること
- 歴史を通して「現代」がなぜそうなったのか?がわかります。
- 過去を学ぶことで将来へ活かすことができます。
- 「歴史」を通して世の中の「都合の悪い真実」が見えてきます。
私は、勉強科目の中で「国語」と「社会(特に歴史)」が大好きでした。特に「歴史」を学ぶことで現在の日本は過去の連続で成り立っていることが良く分かります。この記事を通して、世の中のしくみ(難しく言うと「構造」)を紹介できればと思います。
人はなぜ「社会」を学ぶのか?
科目の中で「社会」が苦手だって、思う方も多いと思います。その理由は、「国語」や「算数・数学」と言った他の科目と違って圧倒的に「暗記」する量が多い科目だからではないでしょうか?
例えば、社会の歴史で習う「年号」を暗記することが多いと思います。教科書を開けば、「1853年ペリー来航」と、書かれています。「社会にでたらペリー来航なんて知識は絶対に使わない!」と思うところから始まります。
ペリー来航は、日本の歴史の中で重要な出来事。
1853年、当時外国との貿易をほとんどしていない「鎖国」という政策をとっていた日本に、アメリカの東インド艦隊司令官マシュー・ペリーが、4隻の黒船を率いて来た。
ペリーは開国を求めて、日本が他の国々と貿易を行い、交流することを望んだ。当時の日本の幕府は、アメリカの強い要求にどう対応するか悩んだが、最終的には開国を受け入れることにした。
「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」145ページから146ページより
作家の佐藤優さんは、日本史や世界史を学ぶうえで「年号」を学ぶ意味を次のように説明しました。「年号とは、歴史的なできごとが、起こる前と起こったあとで世界が大きく変わったことを意味する」と話しています。
例えば、今から100年後に歴史を振り返った時に、「2020年」は歴史的に年号として、教科書に記載されると思います。そう、「新型コロナウイルスによるパンデミック」が起こった年だからです。「2020年」以前と以後では世界が大きく変わったことを私たちは歴史として経験しました。
上記のことを考えた時に、「1853年ペリー来航」によって何が変わったのかというと、日本は江戸幕府という約200年間続いた「鎖国政策を終わらせ、開国への道を歩み始めた」ということが言えると思います。
1853年ペリー来航の謎
先ほども説明しましたが、ペリー来航は、1853年に日本へ来たとされています。なぜ、1853年だったのか?もっと早くても遅くてもよかったはずです。著者の西岡先生は、「視野を世界に向けると理解ができる」と説明します。
※1853年、またはそれ以前の世界の出来事
- 1840年 アヘン戦争 中国がイギリスと戦って負けた戦争
- 1848年 アメリカ、メキシコよりカリフォルニアを獲得
- 1851年 イギリスで第一回万国博覧会
- 1853年 クリミア戦争 イギリス・フランス・ロシアが戦争
当時の世界は、植民地争奪戦が世界各地で起こっていました。1840年「アヘン戦争」は中国(当時の清)が、イギリスと戦って負けた戦争であり、中国(清)の敗北によって香港が割譲されるなど、反植民地への道を進むきっかけになりました。
1848年にアメリカは、メキシコからカリフォルニアを獲得しました。アメリカの「マニフェスト・デスティニー」という西部拡張主義の理念に基づき、領土拡大を目指したものでした。
一方、イギリスでは第一回万国博覧会がロンドンで開催されています。世界初の国際博覧会として、産業革命の成果を世界に示す重要なイベントでした。博覧会の目的は、産業革命による技術革新や工業製品を展示し、国際的な商業と文化の交流を促進することでした。
1853年に始まったクリミア戦争は、ロシア帝国とオスマン帝国の間で勃発し、イギリス、フランス、サルデーニャ王国がオスマン帝国を支援する形で参戦した戦争です。クリミア戦争は、近代戦争の先駆けとして新しい技術や戦術が導入された点でも重要です。鉄道や電信の使用、近代的な兵器の導入が戦争の様相を変えました。戦争の規模から「第0次世界大戦」とも言われています。
1853年に欧州で戦争が始まったタイミングと同じくして、「アメリカがアジアへ通商を目的として日本にペリー来航が起きた」と説明します。日本は海外との国交を開くことで、1853年はペリー来航を通して、「近代への道」を開くターニングポイントになった年とも言えます。
※POINT:日本史だけでく世界の動きを見ることで歴史を多角的にみる視点が養える。
歴史を学ぶことで「現代の都合の悪い真実」に気が付くことができる
1853年、ペリー来航によって、日本は近代への道を開いたと説明をしました。世界史的に見たとき、イギリスやフランスをはじめとした産業革命を経た先進諸国による、植民地化への流れであることが読み取れました。
日本でも、徳川幕府から明治維新を経て近代国家へ道を開きました。太平洋戦争による敗戦を経て戦後復興を果たしました。その戦後復興の中で、大きな役割を担った、エネルギー問題ですが、その鍵を握る「原発」も歴史の流れを見ると違った視点で見ることができます。
思想家の内田樹氏は2013年4月、ブログで「白熱したインタビュー」の内容としてこんな自身の発言を紹介している。
〈戊辰戦争ですよ! 決まってるじゃないですか。戊辰戦争で、奥羽越列藩同盟【注】が賊軍になって、それからあと150年間、中央政府によって有形無形の差別を受けてきたからですよ〉
【注:戊辰戦争中に、東北・北越の諸藩が結んだ反維新政府による軍事同盟】
これは文化祭で東北の研究を発表する高校生からインタビューを受けたときの発言である。内田氏は東京をはじめ、関東で消費される電力が福島など、関東以外の地域にある原発から供給されることを「賊軍差別」の表れだと断言し、さらには原発立地比率が戊辰戦争で勝った側と負けた側には「歴然とした差がある」、つまり原発の多くは賊軍とされた地域に立地されていると主張した。
引用記事:内田樹氏が指摘する「賊軍地域に原発集中」は本当か?|NEWSポストセブン
内田樹氏のブログでは、現在、日本国内に原発は17か所、54基あると説明する。その中で、原発が置かれている場所と、「戊辰戦争で賊軍」とされた旧幕府軍側だった藩のある県を照らし合わせると、13か所46基の原発が該当することになる。
他にも、近代以降、東北は開発から取り残されてきた歴史があります。ここで詳しくはふれませんが、戦前の「2・26事件」など、日本の歴史の中で暗い影を落とした経緯があります。
※POINT:学校の歴史を学んだだけでは、現代日本の「都合の悪い真実」には気がつかない。
休憩時間:四時間目「探究」編の前置きとして
社会にでて、誰もが一度は思うことがあると思います。「疑問に対して、必ずしも答えが準備されているとは限らない」という現実にどう対処すれば良いか?
「上司の理不尽な指示に対して従うべきか」や「自分はこのままこの人と結婚をしても良いのだろうか?」などと、答えがでない問いに直面することもあると思います。
答えがでない「問い」を問い続けることを「探究」といいます。人は、なぜ勉強をするのか?という問いを突き詰めると「探究」に行き着きます。

今回、「西岡壱誠著、読んだら勉強したくなる東大生の学び方」をテキストに、「国語編」、「算数・数学編」、「社会(歴史)編」と、ご紹介してきました。最後、四時間目は「探究編」をお送りしたいと思います。
四時間目:「探究」編を読んで解ること
- 正解のない問を考えることができます
- 私たちはなぜ勉強するのか?がわかります
- ネガティブケイパビリティという概念にふれます
探究とは、「未知の問いや課題に対して、答えを模索し、自ら考え、試し、発見するプロセス」を指します。このプロセスは単なる知識の収集とは異なり、「自分で答えを見つけ出す」という主体的な行動が求められます。
特に、大学での学びは「正しい答え」を探す学問では無く、「学びたいことを勝手に学ぶ場所」であり、「どんな勉強をするか」は自分で考えなければいけません。もちろん、社会に出てからも「探究」は続きます。自分で問いを見つけだし、考えぬく力を養うことはビジネスパーソンにとっても必須な条件だと言えると思います。
なぜ「正解のない問い」を考えるのか?
今までのおさらいになりますが、小学校の勉強では「算数(数字)」や「国語(ことば)」など、私たちの世界を取り巻く基本的な概念(考えかた)を学びました。
中学校や高校に上がると「算数」が「数学」に名称が変わり、「国語」は「古文」が加わり、「社会」には「歴史」や「公民」が増えるなど、分野が広がり内容が深くなっていきます。
ですが、高校までの勉強は、あくまで「答えがある問い」であり、設問に対して「正しい答え」を解答するプロセスが学びの基本だと言えます。
大学に進学すると「学びかた」が変わります。「答え」を見つける学びから「問い」そのものモノを見つける学問へと変わります。そこには「正解」がない問いが立ちはだかります。

次に、実際に正解のない問いを考えてみましょう。本著、「西岡壱誠著、読んだら勉強したくなる東大生の学び方」の解説とは違う考え方をしたいと思います。
Q:足が速くなるためにはどのような訓練を積めばいいと思いますか?
「西岡壱誠著、読んだら勉強したくなる東大生の学び方」180ページより
「問い」に間違いはない「解釈」の違いがあるだけ
設問の「足が速くなるためにはどのような訓練を積めばいいと思いますか?」という問いに対して、本著では、「足が速いとはどういう状態なのか?」という「解釈」から、いかに足を前に出す回転数を上げるか?(ピッチ)×歩幅を増やす(ストライド)という掛け算式を導入しました。
ここで、自己解釈をすると「足が速くなるためにはどのような訓練を積めばいいと思いますか?」という問いに対して「足が速くなるためには」という疑問と「どのような訓練を積めばいいと思いますか?」とふたつに分けても考えてみます。
例えば、そもそも「足が速い基準とは?」という解釈から、「短距離走なのか?」、「中距離走なのか?」、「それとも長距離走なのか?」という解釈まで、それぞれの距離の平均タイムを割り出すところから広げても面白いと思います。
また、「短距離で速く走るための訓練」を考える。「中距離で速く走るための訓練」や「長距離で走るための訓練」は同じではないと思います。それぞれの訓練法を考える(プレゼン)できる道筋をつけられると面白い(2回言いました)と思います。
※POINT:そう!大事なのは解釈という違いだけで「おもしろい」という発想が大事。
そもそも「私たちはなぜ勉強するのか?」
前節で、「問い」を追求することに間違いはない「解釈」の違いがあるだけと説明しました。よいよ本著も終盤です。集大成として西岡先生からの最後の問いです「私たちはなぜ勉強するのか?」と、いう疑問です。
本著では、「人間は悩む生き物で、悩むことを楽しめる生き物なんだと思う。そして、勉強するっていうのは、その悩むということに答えを出す訓練をするってことだ」と説明します。

その答えを考える時に、勉強して得た知識は役に立ちます。知識は視野を広げます。また、他人の考えに対して寛容にもなれます。正解のない問いを考える経験があなたの人生に活きてくると思います。
※POINT:「正解」はないけど、「答え」を出すことはできる。自分なりに考えて、「自分としては、正解かどうかはわからないけれど、これが答え」ってものを考えることはできる。

ネガティブケイパビリティという概念にふれてみる
ここまでお読みいただきありがとうございました。「探究」について考えることは「正解」の無い問いに対して考え続けることができる力を養うことだと説明してきました。
ここでは、『「正解」の無い問いに対して考え続けることができる力』に対して、「箒木蓬生著、ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力」を参考テキストに、もう少し踏み込んで考えたいと思います。
まずは、「ネガティブケイパビリティ」とは何か?について簡単にふれてみます。
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答えの出ない事態に耐える力
ネガティヴ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態に耐える能力」をさします。
あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」をさします。
能力と言えば、通常は「何かを成し遂げる能力」のことに対して使われる言葉です。何かを処理する、問題解決能力ではなく「そういうことをしない能力」ことこそが、ネガティヴ・ケイパビリティ(負の能力もしくは陰性能力)の醍醐味だと話します。

少し、内容が難しくなってきましたね。この概念(考え方)は精神科用語として確立された歴史があります。今、しばらくお付き合いください。
わかったつもりを止める
ヒトの脳には「分かろうとする」生き物としての方向性が備わっていると言います。よく、親が子どもに対して「なんで?こんなことをしたの?」と、叱るとき、「子どもの行動やその意味を親は理解できない」から不安になるわけです(経験があるかたは思いかえしてみてください)。
一方で、さまざまな社会状況や自然現象、病気や苦悩に対して「意味を見つけよう」とします。そうすることで「理解」し「分かった」つもりになれる訳です。
ところが、安易に「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元にまで発展しないと言います。「分かったことをあえて考えたくない」のが人の習慣だからです。ましてや、その理解が誤っているとなると悲劇はさらに深刻になってしまいます。
※POINT:「分かる」ための究極の形が「マニュアル化」することだと言います。マニュアルがあれば、その場に展開する事象は「分かった」モノとして手順化され、対処法も定まります。対応に困らないために「マニュアル」は存在する訳ですね。
わからなさに耐える力を養うことで「ふんばる力」がつく
私たちにとって、わけの分からないことや、手の下しようがない状況は不快です。ですが、私たちの生きる日本でさえも長引く不況や政治的混乱、そんな社会に対して答えのでないことばかりで溢れています。
だからこそ、ネガティヴ・ケイパビリティが重要になってくるのです。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、ずいぶん楽なりました。いわば、ふんばる力がついたのです。それほどこの能力は底力を持っています。
引用:「箒木蓬生著、ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力」10ページより
もっと、ネガティブ・ケイパビリティについて知りたいという方は「箒木蓬生著、ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力」をあたってみてください。「西岡壱誠著、読んだら勉強したくなる東大生の学び方」を読んだうえで、本書にふれると理解が深まります。
さいごに
という訳で、「西岡壱誠著/読んだら勉強したくなる東大生の学び方」を元に1時間目「算数・数学編」に加えて、二時間目「国語編」を書いてきました。算数や数学を学ぶことで、数字に対する概念や取り組むべき問題の抽出など、人生において応用できることがあったでしょうか?少しでもお役に立ててれば幸いです。
「なぜ国語を学ぶのか?」と言われれば、結論としては、「あなたのみえる世界を正確にとらえることができるから」と、言えます。ここまで読んで下さったかたはご理解いただけたと思います。
また、三時間目には「社会(歴史)」編を紹介しました。少し、内容が難しいという意味でも、歴史の難しさにもふれたと思います。同時に、過去の歴史が現代まで続いているという意味では、社会(歴史)科を学ぶ意味とは、一言でいうと「現代のしくみを知る」ことへの一端にもなるかと思います。
そして、四時間目には「探究」編と読み解いてきました。「答えのない問いを問う力」とは「哲学」とも言いますね。また、「箒木蓬生著、ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力」にふれることで、「探究」を深堀しました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。また、次の記事でよろしくお願いします。
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